実習生がやってきた(5)

実習生は俺の手を取ると「脈を取らせてください。」と言って自分の腕時計を見 た。俺は少しドキドキした。だって、こんな若い女の子に手首を持ってもらうとは 思ってもみなかったからだ。俺が「今日は実習生が脈拍を測るの?」と訊くと、彼 女は「いえ、私た…

実習生がやってきた(4)

俺ははっきりと「あなたの質問はありきたりで面白くないから俺が質問する」と 言ってやった。俺の質問によって引き出した彼女の話によると、彼女は看護師にな るために精神科はもちろん、内科、外科などいろいろと実習でまわらなければなら ないらしい。俺は…

実習生がやってきた(3)

俺は思い出した。病院伝説で聞いたことがあったことを。ここの病院では患者を 引き受けるかどうかはその患者の身辺調査をしっかりとやってから決めるそうだ。 つまり、その患者の家族構成、職歴、年収、資産等を調べあげて入院費不払いなど の金銭的なトラブ…

実習生がやってきた(2)

朝礼で実習生たちの紹介があった日の午後、実習生たちと俺たち患者の顔合わ せがあった。俺の担当になった実習生は、大学4年生で丸顔でちょっと童顔の女 子だった。大きな部屋でそれぞれの担当組に分かれ、お互いに簡単な自己紹介を しあった。それを大学側…

実習生がやってきた(1)

ある日、男性看護師が俺に声を掛けてきた。「今度、うちの病院に実習生が10 人ばかり来るので、そのうち1人の担当を受けてくれませんか?」つまり1人の 実習生が俺の担当になり、俺と話をしたり病院での生活を見せやってくれ、とのこ とだった。「俺でい…

これが病院伝説だ(3)

その男、入院生活が嫌で嫌でたまらなかった。早朝散歩の時に敷地の外へ脱走す ることも考えた。敷地周辺を囲ってあるフェンスは小学生でも乗り越えられるよう な高さでしかない。そこが刑務所とは違うところだ。実際、過去に何人もの入院患 者が逃走している…

これが病院伝説だ(2)

横綱級の噂話の後では、他のたわい無い噂は赤子の手をねじるような単純なも のだが、赤子とてバカにはできない。なんたって泣き出したら止まらない。 『病院内で出された手紙は全て検閲される。』 患者の書いた手紙はナース・ステーションに置かれているお手…

これが病院伝説だ(1)

朝の清々しい外の空気を呼吸できる貴重な時間に、耳に入ってくる話が同様に貴 重なものだとは言えないが、開放的な空気の下では口も開放的になるようだ。狭い 社会の中にいると、その平凡な生活にある種の刺激を求めて、とかく噂話が謳歌す る。これは田舎だ…

早朝散歩の光景(2)

この光景を同室のデブは毎朝3階から見ていた。デブは散歩に行かずに部屋の窓 から外を眺めながら、今日は誰が歩いている、今日は少ないなどと大きな独り言を 吐いていた。その時にはブラックはベッドで横になっており散歩には出ていない。 ブチは部屋にはい…

早朝散歩の光景(1)

* 前回は私の操作ミスで冒頭3行が抜け落ちていました。(その部分です) 呼び止めたのは同じ入院冠者だった。彼はボールペンでノートに何か書いていた ので散歩の参加者をチェックしているのだろう。でも彼のチェックが終わっても階 段ドアの所に看護師が…

ビギナーズが終わった日(2)

まさに養豚場の出荷チェックだ。しかも一件も見落とさないようにと厳重に行っ ている。みんながそこを出ていったらドアが閉められ鍵が掛けられるのを俺は何度 もデイ・ルームから見ていた。一階から外へ出るドアの所でも同様のチェックが行 われているのだろ…

ビギナーズが終わった日(1)

俺が入院して12回の出席義務があったビギナーズ(初心者)ミーティングが やっと終わったのは入院して約1ヶ月経った頃だった。日曜日以外の毎日行われる このミーティングは通常なら2週間で終える。なのに1ヶ月も掛かってしまったの は、別に俺が不真面…

俺は本当に肝硬変?(4)

外はすっかり明るくなり、院内もざわざわと次第に賑やかになってきた。 俺は朝食を食べ終え、看護師たちが忙しくなる朝の検温、投薬等を済ませた頃を 見計らって、俺の担当看護師を見つけ、先生に相談したいことがある旨を伝えた。 それまでの時間の何と長く…

俺は本当に肝硬変?(3)

明けの明星が輝きだした頃、闇夜がしだいにゆっくりゆっくり白々と明るくなっ てきた。部屋の窓が東向きにあり俺のベッドがその窓側にあったことを感謝した。 起床の6時までまだ1時間ちょっとある。俺はこのまま窓の外の暁を見ておきたかっ たが、同室のみん…

俺は本当に肝硬変(2)

俺は闇の中で、この病院へ来たときのことを思い出そうとした。俺は精神病院へ 入ることに強い抵抗と観念との葛藤の中で、妻と一緒に俺の運転する車で病院へ来 た。ここで妻に付き添われてきたと言わないのも、俺の抵抗心からくるせめてもの プライドだ。 病…

俺は本当に肝硬変?(1)

俺は部屋に戻ってからその不安を口にすると、ブラックはさももっともらしく俺 に言った。「ここは精神病院だぜ。医者だって専門医ではないだろう。もしお前さ んが病気を本気で治したいのならここを出ていくべきだな。ここに居ると死んで しまうぞ。」確かに…

院内の年寄りたち(5)

数日経って、隣の席で食事をしているおじいちゃんも入院生活に少しは慣れてき たようで、少しずつ食べ物も喉を通るようになったようだった。その頃の俺も入院 生活に慣れ、いろいろと耳にし口を利くようになっていた。俺はおじいちゃんに、 「少しは食べられ…

院内の年寄りたち(4)

デイ・ルームでの食事の時は各自の席が決められていたが、俺の席の隣は空席だっ た。ある日そこへ新顔が座っていた。新顔といっても随分と古い顔立ちは、それな りの人生を物語っていた。そして好好爺ならぬ我儘妖怪に化身していた。彼の口か らは、ご飯は固…

院内の年寄りたち(3)

俺は親父が亡くなる時、ありがとうの一言も掛けてやれなかった。だから毎朝、 まだ誰もいないデイケアに一人座っているこの好好爺を父親のように優しく挨拶し 軽く話しかけた。そんな好好爺も、彼と同室のヤツの話によると、時々夜中に起き ては、迎えが来る…

院内の年寄りたち(2)

もちろん元気のいい年寄りもいる。若いもんにはまだ負けられんとばかりに頑 張って自分で何でもやっている。そんな年寄りは当然ながら若いもんたちとも仲が いい。ただその元気なエネルギーが歪な方向へ流れる年寄りもいた。その中でも一 番目だったのは食事…

院内の年寄りたち(1)

「ボクは、あの20分のDVDは本当に無駄な時間だと思いますね。看護師達がサ ボっているとしか見えませんよ。DVDだって古い映像でしょう。何十年も前か ら使っているんでしょうね。あの女の子なんて今ではボクよりずっと年上です よ。考えられないですよ。こ…

DVD鑑賞会の話

部屋へ戻るとデブが俺に、初めて俺が参加したビギナーズ・ミーティングの感想 を訊いてきた。俺が実際に感じたことを適当な言葉で答えると、デブはちょっと驚 くようなことを言った。デブの話によると、DVDはビギナーズ・ミーティングにだ け鑑賞するのでは…

初心者ミーティング(4)

DVDの内容、つまり夫が酒に酔って妻に暴力を振るう映像は、俺だけでなく、み んなショックだったのだろう。何人かは自分に発言がまわってくると枕詞のように 「自分はビデオのような暴力は振るったことはないが・・・」と異口同音に言って から喋りはじめる…

初心者ミーティング(3)

DVD鑑賞会が終わると看護師が言った。「今からみなさんにビデオ(年齢がビデ オ世代だとDVDでもこう言う)を見た感想を言ってもらいます。何でもいいかで 率直な気持ちを聞かせてください。では左の廊下側から時計回りに順番で言って ください。」 俺はこの…

朝からDVD鑑賞会?(2)

俺はDVDの映像を見ながら、自分は現実にアル中豚舎の中に押し入れられてし まったのだと認めながらも、この状況をなんとかしたいという抗う自分の感情を どのように言葉で表現できるのか心の中で模索していた。 さて、映像の中の父親はとうとう娘の貯金箱に…

朝からDVD鑑賞会?(1)

看護師は続けて言った。DVDを操作しながら、「まずビデオを見て頂きます。 その後、順番に一人ずつビデオを見た感想を発言してもらいます。ではご覧くだ さい。ビデオは約20分です。」と言って、たどたどしく箱からDVDを取り出し てデッキに入れた。その様…

初心者ミーティング(2)

俺はミーティングでぎろんをする気満々で入った。20人位で満席になろうかと いう6ヶの名が机で囲んだ部屋に10人位は集まっていた。その顔ぶれはどうみて もビギナーズ(初心者)なんて面構えの面々ではない。むしろ《終活クラブ》とい う雰囲気が漂って…

初心者ミーティング(1)

俺は翌日から《ビギナーズ・ミーティング》なるものに参加することにした。 だいたい《ミーティング》(初心者)というネーミングが気に入らない。確かに俺 はこの病院の中では若い方だが人生の初心者ではなかろう。では入院患者のための 初心者講習でもする…

朝 の 始 ま り (7)

朝の活動が始まる9時半までには少し時間があったが、同室の連中、つまりデブ やブラックやブチは部屋からさっさと出ていってしまった。俺はなんだかみんなか ら一人取り残されたような気分になった。どうしていいかもわからず俺はウロウロ していた。そこへ…

朝 の 始 ま り (6)

俺の人生の中で、酒こそ最高の薬だと豪語し栄養ドリンクですら飲まなかった 俺にとって手にのせられた薬の山は悪夢以外の何ものでもない。(これを全部飲 むのか?・・・しかも後にいっぱい並んでいるではないか・・・)看護師たちは にこやかに俺を見ていた…