実習生がやってきた(2)

 朝礼で実習生たちの紹介があった日の午後、実習生たちと俺たち患者の顔合わ

せがあった。俺の担当になった実習生は、大学4年生で丸顔でちょっと童顔の女

子だった。大きな部屋でそれぞれの担当組に分かれ、お互いに簡単な自己紹介を

しあった。それを大学側の教官と看護師が監視していた。俺は開口一番実習生に

「精神病院へ来てみてどう思った?」と訊いた。彼女は少し間を置いてから言葉

を選ぶように答えた。「思っていたより普通の病院のみたいだったのでびっくり

 しました。」俺は普通という言葉が可笑しくてからかい口調で「普通かあ~、

 映画やドラマに出てくるような、病院内を奇声を発して歩いていたり、ベッド

 に縛られたまま暴れているような凄い所だと思っていた?と意地悪く言った。

彼女は困り顔で答えないでいるので俺は更に続けて「病院の通路に鉄格子ででき

 た部屋が並んでいて、中から『出してくれ~!』と叫びながら手を掴まれると

 思っていたんでしょう。」と笑いながら言った。そして「何でも訊いて。何で

 も答えるから。」と彼女に質問を促した。すると彼女は俺の顎が落ちるような

まさに驚愕するようなことを言った。「ヤマダさんは居酒屋をやっていたんです

 よねえ?」「えっ!なぜ知っていの?自分でも忘れていたし、病院の中で一度

 も出てないよ。主治医だってそのことは知らないと思うのだけど。」すると彼

女はキッパリと言った。「病院の患者情報ファイルを見せてもらったんです。」

ここからは完全に形勢逆転で彼女に主導権を握られてしまった。

 

実習生がやってきた(1)

 ある日、男性看護師が俺に声を掛けてきた。「今度、うちの病院に実習生が10

 人ばかり来るので、そのうち1人の担当を受けてくれませんか?」つまり1人の

実習生が俺の担当になり、俺と話をしたり病院での生活を見せやってくれ、とのこ

とだった。「俺でいいんですか?ろくな被験者ではないですよ。」と言ったが、普

段通り過ごしてくれたらいいと看護師が言うので、俺は渋々ながら引き受けた。単

調な病院生活に飽き飽きしていた俺はちょっとした刺激でも欲しかった頃だった。

 ある週明けの朝礼時、実習生たちがやってきた。10に程が横一列に並んでいた。

将来の看護師たちだ。男1人にあとは女子。全員大学生だから当然若い。こちらは

ほとんどが男で年寄りばかりだ。女性も少しはいるが、シーラカンスを相手にして

いる乙姫様のような方々だ。そこへピチピチッと若くて華やかな雰囲気を病院内へ

もたらしてくれたのだ。おじいちゃまたちも竜宮城へ来たような気分だろう。俺は

その貴重な1人の実習生の担当になったのだ。正直、この雰囲気をもっと幸せに感

じてくれるであろうおじいちゃまと代ってあげたかった。俺はだんだんと面倒臭く

なってきたが、ともかく実習生たちとの時間が始まった。

 

   *これはフィクションです。

これが病院伝説だ(3)

 その男、入院生活が嫌で嫌でたまらなかった。早朝散歩の時に敷地の外へ脱走す

ることも考えた。敷地周辺を囲ってあるフェンスは小学生でも乗り越えられるよう

な高さでしかない。そこが刑務所とは違うところだ。実際、過去に何人もの入院患

者が逃走している。逃走したからといっても犯罪者ではないので法的拘束力は病院

にない。脱走者の家族が受け入れるなら、そのまま脱走劇は円満に終了するのだろ

うが、元来家庭内が円満でないから入院しているのだ。当然入院患者は堀の外に平

和はない。

 さてその男、軽率な脱走を戒めながらその機会を窺っていた。そしてその機会が

やって来た。外泊許可が出たのだ。外泊といっても、最寄りの駅までの送迎は病院

バスを利用し駅から自宅までの運賃しか病院側から貰えない。自宅から病院へ戻る

時は、余分な金品を持ち込もうとしていないか入念にボディ・チェックをされる。

 その男は、自宅までの交通費を握りしめ病院を出た。もちろん向かった先は自宅

ではない。友人を頼って行方をくらましたのだ。友人がその男にとっていい友人か

否か個々では判断できない。

 ある日、男は隣県都市の街中を歩いていた。そこへ突然乗用車がその男の隣へ横

付けされ中から2人の男が降りてきた。その1人の男に布袋を頭から被せられると

強引に車へ乗せられた。その男は車の中で抵抗して暴れると口にハンカチのような

布を宛がわれそのまま意識を失ってしまった。

 その男が気付くとベッドの上へ寝かされていた。そこがどこかはすぐにわかった。

その部屋がピンク色だったからだ。男はそれで観念した。

 

 俺はその話をしてくれたヤツが、実はその男本人だったのではないかと、今でも

思っている。あるいはヤツの現在の置かれた境遇から生み出された話なのかもしれ

ない。ヤツはずっと退院したがっているが、家族が受け入れてくれないと、ヤツは

言っていた。そして今では一生この病院で過ごすのだと観念していた。

 

   *これはフィクション中の人物が生み出したフィクションです。

これが病院伝説だ(2)

 横綱級の噂話の後では、他のたわい無い噂は赤子の手をねじるような単純なも

のだが、赤子とてバカにはできない。なんたって泣き出したら止まらない。

 

『病院内で出された手紙は全て検閲される。』

  患者の書いた手紙はナース・ステーションに置かれているお手製段ボールの簡

 単なポストに投函するのだが、郵便局員が病院へ回収しに来る前に、患者の手紙

 は中を担当の看護師によって全てチェックされているらしい。

 

『患者たちで組織された自治会は病院側のスパイである。』

  そもそも自治会執行部役員は看護部長の承認によって決められる。役員たちは

 ある程度の見返りが与えられ、彼らは病院のスパイになっている。

  俺が思うに、仮にスパイでなくても誰もが早く退院したいのだから少しでも病

 院側に尽力したいヤツはいるし、病院もそんなヤツを上手に使いたいよなあ。よ

 うするに魚心に水心だね。それに全患者から、月5000円もの自治会費を病院

 が徴収している不満もあるんだろうね。だって自治会費を病院が使っているのだ

 からね。何に使っているかって?それはまた今度俺が噂でなく話そう。

 

『県内のほとんどの病院がこの精神病院と契約している。』

  患者を集めるために、県内のほとんどの病院と結託して患者を送り込ませてい

 る。その理由をアルコール依存症と診断を下してもらい、送り込ませた医師には

 報酬が支払われている。

 

 などなど・・・あとは、『オレはあの看護婦と寝た。』だの、『病室に監視カメ

 ラが付いている』だの、『院内の電話は盗聴記録されている。』だの、どうでも

いいような噂には、枚挙にいとまがない。

 最後にこの病院でシーラカンスのように長く患者として住んでいるおじいちゃま

が話してくれたドラマのような語りを、俺の脚本で書いてみよう。

 

   *これはフィクションです

  

これが病院伝説だ(1)

 朝の清々しい外の空気を呼吸できる貴重な時間に、耳に入ってくる話が同様に貴

重なものだとは言えないが、開放的な空気の下では口も開放的になるようだ。狭い

社会の中にいると、その平凡な生活にある種の刺激を求めて、とかく噂話が謳歌

る。これは田舎だからとか、村社会に限られたことではなく、都市の中でも都市伝

説という名の非文明的な噂話が尽きることはなく、これもメディアによって拡散さ

れていく。それが限られた文明の中で極度に閉鎖された空間にいたのなら、それは

もう都市伝説の比ではない。しかも騒げばどのような報復が待っているか判らない

恐怖政治の凝縮された建物の中においては、静かな伝説として伝播していく。これ

から書くことは、俺の好奇心というアンテナが捉えたもっともらしい噂話だ。とは

いうものの、所詮どこにでもあるような噂にすぎない。

 

『あの看護婦と委員長はデキている。』

  このての噂話の不動なる大横綱級のものだ。

  ある看護婦は若い頃から委員長の愛人だった。だから一目置かれ誰も彼女には

  逆らえないらしい。

『この病院の地下には霊柩車を停める駐車場があるらしい。』

  これは病院あるあるの噂話だ。むしろ本当にあるような気がしてくる。

  それが精神病院の噂となると少し状況は変わってくる。この病院でも地下の秘

  密の駐車場に霊柩車が静かに停められ、そこへ通じる専用のドアから遺体が運

  ばれて、誰の目にも留まることなく深夜病院から出て行くそうだ。

 

   *これはフィクションです・・・ですが、まだまだ続く

早朝散歩の光景(2)

 この光景を同室のデブは毎朝3階から見ていた。デブは散歩に行かずに部屋の窓

から外を眺めながら、今日は誰が歩いている、今日は少ないなどと大きな独り言を

吐いていた。その時にはブラックはベッドで横になっており散歩には出ていない。

ブチは部屋にはいなかったが散歩には行かないようだった。

 外に出られるといっても、たったの15分程度だ。そのために外履きの靴を部屋

から用意して2ヶ所のチェックを受け階段を下りたり上がったりしなくてはならな

い。それでも外へ出て散歩したいという思うのか、そうまでして外へ出なくてもい

いと思うのか、その違いに年齢は関係ない。15分間の散歩を終えると、みんなド

アの所へ集合して呼ブザーを押す。「は~い」と応答があってしばらく待っている

と中から看護師がドアを開け顔を出しチェックする。その後は外へ出た時の逆回し

の要領だ。階段を上がり2階の連中と分れ3階の入り口前で再び呼ブザーを押す。

「は~い」と応答があってしばらく待っていると看護師が来る。「おかえりなさ~

 い」と言って名前を確認しながら中へ入れる。散歩の時間が決まっているのだか

ら、いちいち待たさないでドアを開けて待っておけよ、と俺は言いたかった。15

分の早朝散歩は心と身体の健康にいいだけでなく、いろいろな連中と接触できる貴

重な時間でもある。そこで俺はいろいろな話を聞くことになるのだった。

 

   *これはフィクションです

早朝散歩の光景(1)

* 前回は私の操作ミスで冒頭3行が抜け落ちていました。(その部分です)

 呼び止めたのは同じ入院冠者だった。彼はボールペンでノートに何か書いていた

ので散歩の参加者をチェックしているのだろう。でも彼のチェックが終わっても階

段ドアの所に看護師がいて一人ずつ出ていくのをチェックしていた。

 

 ともあれ俺はそれから3日間待たされた末、ようやく外へ出ることができた。な

ぜ3日間待たされたのか?その理由は看護部長がいなかったからだ。優秀な牧羊犬

ボーダーコリーは隣村まで羊を追っていく訳ではないだろうが、一応出張だと言っ

ていたのでそういうことにしておこう。看護部長の帰りをキリンのように首を長く

して待った俺はやっと待望の早朝散歩に参加できたのだった。

 3階で無事チェックを通過し階段を下りる時は、あまりの膝の痛さに手摺なしで

は下りられない程、体力が消耗していることを実感した。2階を通過する時、ドア

が開いて2階の患者たちと合流した。1階まで下りると案の定外へ出るドアの所で

看護師が1固体ずつチェックしていた。そこで部屋番号と名前を言って、やっと外

の世界へ出られた。もうすぐ4月だというのに早朝の外の空気は冷たくて、それが

俺には爽やかだった。1周約100メートルのグランドをみんな一緒に淡々と歩く

だけだ。別に整列はしていない。年老いたのも若いのもいる。ただ右回りはみんな

同じで3ヶ所に一応監視らしき者がいる。コースを外れると直ちに注意される。彼

らはボーダーコリーの子分なのだろう。コースの周りには桜の木もあればちょっと

した菜園もある。少しでも見に行こうとしたら戻るように声が掛かる。俺たちは羊

かい!いや豚だった。