徳冨信恵というピアニスト(9)

 クラシック音楽には慣習というものが多い。それを知ったからって音楽を聴いて楽しむ事に関してはどうってことはない!が、知っていれば音楽の共感度が変わるかもしれない。だとしてもそれが音楽鑑賞にとっていいのかどうかはわからない。だからクラシック音楽は奥が深い。
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲『皇帝』は、その冒頭からいきなり始まるカデンツァと呼ばれるピアノ独奏部に特徴がある。この時代の協奏曲は協奏曲形式と言って、独奏楽器(ピアノ)が現れるまでオーケストラだけの演奏があるのが慣例だ。それをベートーヴェンはこの『皇帝』でその慣習を打ち破ったのだ。いきなりオーケストラのジャ〜ンと伸ばした音の後にピアノの華麗なるテクニックによるカデンツァが現れる。オーケストラのジャ〜ンの響きで、このホールが響かない事がわかった僕は、この曲の冒頭のピアノの響きに注目した。
 徳冨さんはピアノを丁寧に美しく響かせていた。華麗なるカデンツァ部が終わるとオーケストラの長いテーマの提示部が始まる。徳冨さんの表情が緊張しながらも少し落ち着いて見えた。オーケストラだけの演奏が長く感じられた。モーツァルトベートーヴェン等古典派と言われる作曲家の演奏は難しい。ショパン等のロマン派のように感情的な雰囲気を曲想に込めてごまかす事ができない分、その人の演奏におけるテクニックが露呈してしまう。例えばこう考えてもらいたい。指はそれぞれに強さの伝わり方が違う。親指と小指では全然力の伝わり方が違う。それを均一で統制のとれたパッセージ(音列)で演奏しなければならない。それが更に速かったり複雑な音型だったりするともっと難しくなる。それが古典派の演奏では露呈してしまうのだ。しかもベートーヴェンモーツァルトとは作風が違う。均整と調和と澱まぬ流れが美しい(特にピアノ曲の第一楽章)モーツァルトに対して、ベートーヴェンはもっと感情的な起伏が激しい。でもロマン派の作風でもない、それをどのように表現できるのかが、その演奏家の音楽的なクオリティーの高さと音楽的テクニックのレベルにかかっているのだ。
 さあ長いオーケストラによる主題提示が終わり、(僕の長いウンチクも終わり)いよいよ本格的にピアノとオーケストラの共演が始まる。様々な表情に変わる『皇帝』の第一楽章の第一主題を徳冨さんは端麗に優しく弾きはじめ楽想はすぐにリズミックな流れに変容してからオーケストラの堂々とした第一主題を導き出した。徳冨さんの澱みのない丁寧で端正な演奏が続いた。