徳冨Nというピアニスト(11)

 通常協奏曲は全3楽章だ。速い曲があって遅い曲がきて速い曲で終わる。なんとも自然な論法だ。これは貴族好みの舞曲を入れたくて全4楽章になった交響曲とは違うところだ。貴族嫌いだったベートーヴェンといえどもこの音楽の節理は守っている。よってこの『皇帝』の第二楽章は緩徐楽章という緩やかな曲になっている。緩やかな曲は技巧的には平易だが音楽的には難しい。ゆっくりした曲が上手な演奏者は本当に音楽のクオリティーが高い人だと僕は思う。陶芸で例えると、難しそうな芸術的な作風ではなく、素朴なお茶碗だけで感動させられる人なのかもしれない。
 ベートーヴェンの感徐楽章のテーマは本当に美しい。モーツァルトのそれも美しいのだけど、モーツァルトはより自然でそれでいてマネのできない上手さがある。ベートーヴェンは幾分作為的だがそれが絶妙に上手い。マネできそうだけどやはりベートーヴェン節がそこにある。そのベートーヴェンの作為的な抒情性を徳冨信恵さんはどのように演奏して聴衆に伝えるのだろう。僕は目をつぶってウトウトと夢見心地で聴いていた。美しいピアノの音色だった。ふっ、とおもしろい情景が浮かんだ。
 お茶室の中で徳冨信恵さんが清楚なえんじ調の着物を着てお茶をたてている。茶釜から静かに湯気が立っている。並んで座っている客の面々はオーケストラの管楽器の学生達だ。彼らの不慣れな場所で粗相のないように頑張って座ってお手前をしている様子にとても好感が持てた。一方の徳冨さん、こちらは楚々な所作で彼女の表情が静かにひき立てられていた。時々ちらっと温かく学生達を見ている。素敵な表情だった。(誤解のないように。僕のあくまでも夢見心地の世界の中の音楽の比喩ですよ。勝手に僕の精神分析をしないように!)そんな想いで聴こえていた情景が曲の後半に場面転換した。(あ〜残念)薄暗い蝋燭が点された部屋でベートーヴェンがピアノに向かっている。
 ベートーヴェンはああ見えても女性にとても優しいのだ。ベートーヴェンがピアノに向かっているのは、病気で伏している貴族のご婦人の隣室。ご婦人を慰安する為に2時間3時間ずっとピアノを弾いている。(これは事実です)ここでの曲は、そう、この『皇帝』の第二楽章で、彼はこの曲をピアノだけで弾いていた。僕の邪推が頭をよぎる。ベートーヴェンはこの曲を、ピアノだけでも美しく弾けるように創ったのだろうなあ〜て。そこへホルンの弱音のロングトーンが耳に入ってきた。意識が目の前のステージに戻された。当時、ベートーヴェンの虫の好かないホルン吹きがいたのだろう。このままホルンは30秒以上同じように息もできず吹き続けるのだった。その間、ピアノは第三楽章の力強いテーマのモチーフ(動機)を断片的に静かにゆっくりとゆっくりと奏し、そのまま息苦しく吹き続けているホルンを従えて第三楽章のとってもかっこいいテーマに突入するのだった。徳冨さんのとったそこまでのテンポはホルン吹きに優しかった。