徳冨Nというピアニスト(12)

 前に、協奏曲の第一楽章について話する時、クラシック音楽にはいくつかの慣習がある、と記したが、ここで第三楽章の慣習について一言。(一言で終わらないのが僕の悪い癖)
 協奏曲の第三楽章や交響曲の第四楽章、つまり最終楽章のほとんどはロンド形式によって書かれている。よくできたものだ。複数楽章があって曲が長くなると聴衆は疲れてくる。聴衆だけでなく作曲家も思考を少し弛緩したくなるのだろう。だから最終楽章のロンド形式は明快だ。まず一つのテーマが提示される。これはできるだけ印象に残るほどインパクトあるものがいい。そのテーマをAとしたとき、次のテーマはBになる。あとはいつもAを経過しながらCだったりDだったり好きなようにテーマをつければいい。ポイントは一つ、いつもAを経過する事だ。だが全く同じ繰り返しではない。だから作曲家は何度か現れるAに少し工夫をする。だからAは、聴衆が「おや、このテーマはさっきの・・・」と思ってもらえるくらいインパクトがあった方がいい。ベートーヴェンはそれが上手なのだ。だって、曲冒頭のジャジャジャジャ〜ンと言っただけで老若男女皆、ベートーヴェンの「運命」だと答えるではないか。そんな曲、他にはない。で、それを創ったベートーヴェンは、この『皇帝』の第三楽章でも素晴らしいAのテーマを創った。字で表すのは不可能だが、雰囲気だけカッコ良さを感じてもらいたい。もし凡庸な作曲だったら、ターランターランターランランとなりそうな第三楽章冒頭をベートーヴェンは、ターランターラン・ンタラタラランと導入したのだ。(ようわからん??ごめんなさい!)
 さて、徳冨信恵さんのピアノ演奏に戻ろう。そんな訳で彼女の演奏の感想も第三楽章になって、僕の思考も弛緩いや思考停止に陥りそうだ。そんな中で、彼女の演奏のAのテーマが鮮やかによみがえる。ベートーヴェンのこの作品がいいとはいえ、彼女のテーマ提示に反応よくオーケストラもよく響き、この楽曲の屋台骨をしっかりと作り上げていた。屋台骨がしっかりとしてさえいれば、Aのテーマが面白ければ、BもCも楽しみだし、Aのちょっとした変化も楽しみになる。彼女は確実にそのアクションを音楽に込めていた。圧巻はオーケストラが奏でる旋律の中で伴奏よろしく連なるピアノの速いパッセージの中から彼女は確実にモチーフ(動機)の断片を拾い上げてオーケストラに音で手渡した。それを受け取った木管楽器の面々も健闘していた。佳境に入った華やかなお茶会も・・いや演奏も急激にしぼみティンパ二の連打とピアノの和音が静かにステージに残る。この曲を知っている人は、いよいよフィナーレだとわかる。(続く)