徳冨信恵というピアニスト(10)

ピアノ演奏の感想に書いた「端正」という漢字の意味を確認する為に辞書を開いた。「端整」とも書け、これもなかなかいい。更に「丹精」これは誠実に心を込めることであり、ならばこの日の彼女の演奏はこの言葉の方がふさわしいのかもしれない。この日の演奏は、僕が彼女のリサイタルで一緒に共演した時に聴いたモーツァルト変ロ長調ベートーヴェンの「月光」のピアノソナタの演奏とは随分違った。その時の演奏は若々しくて躍動していて音楽の楽しさが前面に現れたもので、これはこれでよかった。そして今、目の前でオーケストラをバックにして弾いている彼女のベートーヴェンの協奏曲は、冒頭に述べたように以前の彼女の演奏とは少し趣が変わった。それは彼女自身の演奏スタイルに変化があったのかもしれないし、一般的な(何をもって一般的というのか?は不明だが)この曲の演奏スタイルとも趣が違って聴こえた。僕の観賞経験だと、ベートーヴェンという『巨星』、『皇帝』という言葉の響きからくるイメージ、堂々としたオーケーストラに対するピアノ、それらをどのように自分の音楽性をピアノ技術でもって消化して演奏表現をするのか?(簡単に言うと、堂々とした強靭なピアノを駆使した表現力のある演奏)そんな演奏ばかり聴いていたので彼女の音の粒を揃えて誇張を避け丁寧に演奏している姿に少し驚きもしたし、僕はとても居心地のいい響きに包まれた。
 しかしながら、こういう演奏は(特にオーケストラの技術がついていけないと)凡庸な演奏になりやすい。(単純で飽きたね〜!というような)そんな心配もしてきたその時だった。第一楽章の後半のカデンツァの再現で空気が変わった。まずこの曲の冒頭と同じオーケストラの高々なるロングトーン。少し演奏して楽団員も変な緊張が無くなったのだろう。それにピアノとのアンサンブルがうまくいって指揮者共々ノッテきたのだろう。響かない会場に素晴らしい強音のハーモニーを鳴り響かせた。それに対して徳冨信恵さんのピアノには冒頭の丁寧なカデンツァから今度は華麗さが込められていた。会場の空気が変わった。聴衆の感覚がステージに向いていた・・・と僕は感じた。それからはこのピアノ協奏曲の素晴らしさが感じられる好演で第一楽章が締めくくられた。と、パラパラと拍手が起こった。その昔は楽章ごとに拍手をするのが慣習だった。今は本当に素晴らしい演奏だった時、聴衆が共感して大きな拍手が起こる。が、最近はこれもあまりない。あるとしたらこういったコンサートに不慣れな聴衆から起こる戸惑ったような乾いた拍手くらいか。でそれをけん制する為に事前に、楽章間での拍手を制するようなアナウンスが流れるコンサートもある。これは興ざめであり幻滅だ。
そして今、目の前で起こっているパラパラとした拍手。これには本当の感動が伝わった暖かいものがあった。僕のようになまじっかコンサート慣れして、感動表現を慣習で躊躇しているその気持ちを代弁してくれている様な、パラパラとしていても素敵な拍手だった。この幸せな空気が今日の演奏を象徴していたし、この後もこの空気は続くのだった。