徳冨信恵というピアニスト(14)

 さて、話を徳冨さんに戻そう。と言っても、先日彼女が演奏したベートーヴェンの協奏曲の感想は(13)までにダラダラと記してきたので、これからは彼女の曲が決まって練習して本番を迎えた約4カ月間の話を、僕が知りうる限り話そうと思う。『なぜお前が彼女の事をそんなに知っているのか?』と詮索されそうだが、僕が知っている彼女は音楽の関係だけで、おそらくそれも10分の1もないのだろう。それでも彼女の音楽に対するアプローチは、50代の僕、多くの慣習慣例が意識なく身についてしまった僕を大いに楽しませてくれる。
 彼女が音楽的にいかに努力を重ねてきたかは、演奏する者は当たり前の事だし、真実は彼女しか知らない事だからここではあまり触れない。ここでは断片的なエピソードを綴っていこうと思っている。それが結果的に彼女の本質を理解する一つのキー(88鍵のうち?)になると思うし、それが彼女の演奏スタイルの根幹に通じているのだと僕は思う。それがあの素晴らしい演奏につながったのだと僕は確信している。
 さて、話を戻そう。徳冨さんからピアノ協奏曲がベートーヴェンの『皇帝』に決まったがスコア(オーケストラ用の総譜)はありますか?と連絡がありその日のうちに僕のお店へ取りに来て帰った、という話をした。(忘れた人はもう一回最初から読んでみてね!)
 ピアノ協奏曲のスコアはピアノを含め全ての楽器が記してある。だから指揮者がそれを使用するのだ。ピアニストが練習時にそれを使用すると勉強にはなるが不便さの方が際立つ。だって約5小節ごとに1ページ1ページめくっていては練習にならない。だからピアニストは普通オーケストラの部分がピアノに編曲されている楽譜を用いる。ピアノ独奏とオーケストラのピアノ版との2台ピアノ用の楽譜になっているのだ。
 徳冨さんがお店にスコアを取りに来た時、僕は彼女に自嘲気味にこう言った。「僕がピアノが弾ければオーケストラの部分を弾いてあげるけどね・・・フルートじゃあねえ・・・」「えっ、フルートだけでもできるのですか?」彼女は喰いついてきた。彼女は思いもよらない事で喰いついてくる時がある。前生はボラだったのかもしれない(ここは本人に先に謝っておこう。ごめんなさい、ごめんなさい!失言でした。)
「まあね、以前、あるピアニストとスコアを見ながらモーツァルトのピアノ協奏曲の大初見大会(初めて楽譜を見て演奏する事)をした事はあるけどね。」僕がそう言うと、彼女は「じゃあ『皇帝』もフルートできますか?」と訊いてきた。「ベートーヴェンはスコアが複雑だからねえ・・・ピアノになっていれば、それを見て旋律だけ吹けるけど、まあそれも音遊びみたいなものだろうね。」
 その会話の数日後に僕は、2台ピアノ用のベートーヴェンピアノ協奏曲『皇帝』のコピー楽譜を徳冨信恵から当然のように渡された。