休憩コーヒータイム(5)

 地方のホールでは仕方のない事だがプロのステマネはいない。だが東京の有名な音楽ホールにはプロのステマネがいる。
 もう10年以上前の話だ。僕が総務をしていたジュニアオーケストラが東京のジュニアオーケストラと交流演奏会をするため東京まで彼らを引率した事があった。その時の音楽ホールにはかなりの年配の男性と30歳位の若い男性がステマネにいた。お爺さん的風貌のステマネの方に僕は「向うでステマネをやっています。何かお手伝いをしましょうか?」と言った。「できる事があるのなら何でもしてください。」とその方が言った。だが僕が浅はかな申し出をした事を後悔するのに数分とかからなかった。その方は舞台上に並べられている椅子の一脚ずつ座っては体重移動をかけながら軋みの確認をし、譜面台の一本一本ねじを弛め上げ下げしては締め直す作業を繰り返ししていた。僕が手伝うなんて余地なんかない。ただただ見守っていた僕に、もう一人の若いステマネが「本番中に譜面台が下がってもいけないし、椅子が本番中に軋むと演奏者が気になってやりにくいですからね。僕はあの方に憧れてこの世界に入ったのですよ。」と彼も手を休めずに僕に言った。彼らの仕事は完璧だった。彼らの並べた椅子等のセッティングは会場上から見ると指揮台を中心にして歪みのない美しい半円形になっていた。本番での進行も指揮者や演奏者達がでるタイミングも老ステマネが全てを取り仕切っていた。演奏後の花束を渡すタイミングはとても難しい。こんなシーンをよく見かける。指揮者が舞台袖に引っ込む途中で花束係が出てきて指揮者が舞台端っこで花束を受け取る、もしくは花束係と一緒に舞台中央に戻ってから受け取る姿を。あるいは花束係が渡そうと舞台中央まできたが、当の指揮者は各楽器奏者別に演奏をたたえ立ちあがらせている最中で、花束係はボ〜と舞台で花束を抱えて待っている姿を。指揮者は演奏後一度は舞台袖に引っ込むが何回目の登場で花束を持っていかせるかの判断も難しい。あらかじめ決めておくのは野暮だ。本番は演奏の出来や会場の雰囲気で万雷の拍手の質も異なるからだ。それらも含めてそこの音楽ホールのステマネはプロだった。僕もその日からステマネを裏方仕事だと思わないで誇りをもってやってきた。
 さあ話を元に戻そう。(何の話だったか覚えておられまい)僕が長々とステマネの話をしたのは、ステージ上であった演奏以外の出来事は全て指揮者をはじめ演奏者達に責任はない。それだけステマネは演奏会において大事な役割なのだ。僕はそれが言いたかっただけだった。
 交響的蛇足のような休憩に付き合っていただいてありがとうございました。次回から話を戻します。(えっ、何の話だったかって???)だから、徳冨さんがベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』を、学生中心のオーケストラと共に素晴らしい演奏を我々に聴かせてくれた事には演奏の努力以外にも多くの要因があると思っている。その中から僕の知っている事を少しだけ記そうと思う。