T.N.というピアニスト(7)

 7月12日(土)徳冨信恵さんのベートーヴェンのピアノ協奏曲『皇帝』の演奏が行われた。大学構内のホールで収容人数は500名位だろうか。大学ホールだけあって品位のある場内だった。品位のあるとは、例えば卒業式で卒業証書を持って黒いガウンを纏った卒業生達が一人一人ずつステージ上で礼をしている、そんな光景が似合うステージだった。だが逆にオーケストラの団員達がのるには少し狭い感じがしたし、今日はそれにピアノが中央前部にデンと鎮座するのだ。彼女の演奏は第2部で行われた。長い休憩(オーケストラのセッティングは大変だからね)が終わって、オーケストラ団員がバラバラと入ってくる。
 実はこの光景は僕は大好きだ。外来の凄いオーケストラなんかは本当にバラバラと勝手に入ってくる。仲間と談笑しながら入ってくるのもいる。中には休憩中からステージで楽器の練習しているなんて光景も珍しくはない。また学校のオーケストラだと団員(生徒)達が真面目な顔つきで整然と等間隔で入ってきたりするのも面白い。
 で、この日のオーケストラは大学の学生達が中心のオーケストラだからだろうか、真面目にドッと入ってきて遅れ気味の何人かは少し駆け足で、そして若々しいそのオーケストラの平均年齢を1,2歳は下げているであろう方も数人が徐に現れ、一気に開演のボルテージが上がった。狭いなと思ったステージに多くのオーケストラ団員がちゃんと収まっていた。
 徳冨信恵がステージ上に現れた。えんじ色のドレスが目をひいた。彼女が礼をすると、すぐに指揮者が現れピアノの向うのピアノでかくれている指揮台にのった。徳冨さんがピアノに座る。指揮者が徳冨さんに目を合わせ準備完了の確認をすると指揮棒を振り上げた。いよいよ演奏の開始だ。
 実は僕はこの日の演奏が楽しみであったが、気分も重かった。楽しみとは当然知り合いの音楽仲間がオーケストラで名曲を演奏するのだ。こんな機会は滅多にない。で、気分が重かったのは、実は僕のお店には少ないながらも音楽に造詣のある常連さんがおり、当然その方々も彼女の演奏を聴きに(見に?)に来ているはずだった。今日の演奏会後は、その方々が僕のお店に来られるかもしれない。そして僕に彼女の演奏の感想を求められるかもしれない。そう思うと、ヨイショができない僕としてはどんな対応をするべきなのだろうか?・・・そう考えると気分も滅入る。
 そこへオーケストラの様々な楽器の音達が高々と長く鳴り響いた。その瞬間に僕の目はステージに釘付けとなり、僕の耳はピアノに集中した。