作家が書いたピアノコンクール(4)

 コンクールで注目されている参加者にマサル・カルロス・レヴィ・アナトールがいた。彼は世界中を転勤していた日本人の父親とペルー人の母親との間に生まれた。幼き頃にピアノの才能に目覚めパリで音大生に師事した。その音大生はマサルの才能を見抜き自分の師匠を紹介したのだった。現在はニューヨークにある音楽大学最高峰のジュリアード音楽大学で大ピアニスト、ナサニエルに師事していた。ナサニエルは審査員として日本のコンクールに関わっていた。このコンクールは日本、パリ、ニューヨークで行われたコンクール参加資格を得られる予選会を通過して集まった約90人ものコンテスタントが1次予選、2次予選、3次予選そして本選と熱演が繰り広げられる。渡航費や滞在費の軽減のためとはいえ90人のコンテスタントが集まり一人20分以内の演奏をするのだ。3日がかりの1次予選になる。一人20分以内でも90人いれば約180時間も審査員は聴いていなければならない。その審査員に三枝子とナサニエルはいた。
 マサルがピアノを始めたきっかけは幼き頃父親の仕事の関係で日本にいた頃幼なじみの少女にピアノを勧められたからだった。少女の先生は好意的にマサルにピアノの手ほどきをした。少女のピアノはマサルにとって大変刺激になった。しかしマサルはすぐに父親の転勤でパリに行かなくてはならなかった。そのマサルが師ナサニエルの期待を背負って日本のコンクール会場にいた。