学校公演の話(5)

 昨日29日(土)今年一校目の学校公演をした。そこに至るまでの過程で苦労した。一つは精神的なショックだった。親しい音楽仲間からご主人が亡くなったと聞かされた。ご主人は過去の演奏会でよく顔を合わせたご縁でよく知っていたし、何より娘さんがまだ小学生だ。何より僕よりも若かった。心不全の突然死だった。それを聞いたのは5月だったが亡くなられたのは3月だったらしい。僕は早々お線香をあげに行った。その翌日東京の音楽仲間からからメールがあった。内容はある人が亡くなったという。
その人はファゴット奏者で僕が初めてドイツに渡りデトモルトに行ったときに本当に仲良くしてくれた。その人はデトモルト音楽大学を卒業後ベルリンのカラヤンアカデミーに在籍していた。その時たまたまデトモルトへ遊びに来ていたのだ。その後も彼はよくデトモルトに遊びに来ていた。その度に会って一緒に食事をしたりした。これも縁なんだろう。その縁のお陰で僕が帰国して山口に戻ってから彼とアンサンブルのコンサートをした。その頃の僕ははまだ集客に自信がなかったので(その後もずっとだが)山口市の二島という田舎の町の個人が建てた小さなホールで演奏した。その後彼はケルンの有名なオーケストラで大活躍をしていた。最近は指揮者もしていると聞いたばかりだった。その彼が亡くなった。本当に衝撃だった。
 もう一つの苦労は事故後の右手首の状態の格闘だった。事故で骨折した左足、肋骨2本はほぼ問題なく完治したが、右手首はまだ骨折の影響があった。だが確実によくなっていっていたと思っていた。ところが学校公演の日が近づいてきた5月になってさすがに練習量を増やさなくてはならない。すると意外に手首のダメージがあることを自覚した。特に今回は初めて多くの楽器を使用する。5種類のリコーダーにアイリッシュ・ホイッスルなどの民族楽器とフルートを駆使したプログラムだ。練習をすると手首にダメージを感じる。でも練習はしなければならない。今日は練習をしないで休みたい〜と思う日も公演日が近づけばそうはいかない。そんな葛藤の日々が続いた。