教養としてのゲーテ入門(3)

 「エクリチュール」とは広義的には記憶であり再現だとその本に書かれていた。僕はそれまで「エクリチュール」は作曲家の模倣としか自分の概念にはなかったので非常に興味が持てた。「エクリチュール」は「パロール」と関わるらしい。「パロール」は感じたことすなわち感覚だそうだ。だから感じたことを記録する事「パロール」から「エクリチュール」への転換が重要になる。音楽で例えると自分の感性は形にしないと消滅する。そこで感性を記録する作業になる。それが作曲であり「エクリチュール」だ。それは文学でも絵画でも同様だが「パロール」と「エクリチュール」の多様性や方向性のバランスをいかにうまく連動させられるかがいい作品を創作したりいい人生を送ったり出来るようだ。倫理観、宗教観、哲学、文化、道徳など幅広いエクリチュールを持てば豊かな人生になるがその「エクリチュール」を豊かにするには感性「バロール」を発揮できなければならない。僕の今の人生はともかく、大学時代作曲を習った頃にこの本に出会っていればもう少しクオリティーのある創作が出来たかもしれない。そして『ファウスト』も挫折しないで読めたのかもしれない。もっともこの本は今年の新刊だ。さっそく僕は『ファウスト』の訳本を買った。
 今週右手首のギプスが取れたが手は思うように動かない。だがリハビリの過程は何年か前に左手首を折って手術した経験があるのでわかっているし焦ってはいない。そうそう、今までギプスをギブスと記していた。本当にそう思っていた。辞書を見るとギプスとあった。しかもドイツ語ではないか。恥ずかしいかぎりだ。生まれて初めてのギプス生活だったからだと言い訳しておこう。僕が美術学校の出身だったらデッサンで石膏(ギプス)を扱ったのだろうけどね。これも「エクリチュール」だ。