教養としてのゲーテ入門(1)

 最近、時間があるのでいろいろな本を買って読んでいる。軽い気持ちで買った本が意外に面白かったら得した気分になる。『教養としてのゲーテ入門「ヴェルテルの悩み」から「ファウスト」まで』はそんな一冊になった。新聞の新刊案内を見て購入した。「ウェルテル」は高校時代に読んで読書感想文に書いたが今では記憶にない。「ファウスト」は過去3回読破しようとしたが挫折した。今回襟を正してまた入門の準備でもという軽い気持ちで読んだ。
 「ファウスト」はクラシック音楽ではとても縁がある題材だ。リストの「ファウスト交響曲」グノーのオペラ「ファウスト」などタイトルにもなっているし、リストの長大なるピアノソナタファウストと関わりがある。またベルリオーズ幻想交響曲の第5楽章(最終楽章「ワルプルギスの夜の夢」)はそのままファウストの魔界に魔女たちが現われる。
 入門書と思って読んでみても僕にとって決して簡単な本ではなかったがそれなりに収穫もあった。
 巷で良く使われる「エディプス・コンプレックス」は、母親を思慕するあまり父に対し嫉妬する感情を表す。実際エディプス王は息子に殺される。その「エディプスコンプレックス」は広義的にとらえるともっと複雑だ。愛する人シャルロッテ)とその婚約者(のち結婚する)の間で葛藤するのが「若きヴェルテル」だ。最後は愛する女性に遺書を残しピストル自殺する。広義的なエディプスコンプレックスは愛する女性の婚約者にも通じる。婚約者は宮廷での高い地位になる人物であり『父のような立派な人』の象徴なのだ。エディプスコンプレックスは社会的に高い地位にある人にも通じ、愛の対象者は決して母のような年上の女性に限られない。包容力を感じられるなら同じ世代でも年下でもその関係はあり得えるし、その女性の相手、それが恋人でも旦那でも父親でも、もしくは社会的地位が高い父的な象徴は全てにエディプスコンプレックスなのだ。
 ゲーテは貴族社会の身分に敏感だった。そして自分の身分や地位にも敏感だった。貴族に対する文学的表現が「若きヴェルテル」などにしばしば出てくる。ゲーテは名前の前にファンやフォンが冠られているか気にしていた。それは貴族の証であったからだ。ウォルフガング・ゲーテは成功して身分が貴族と同等になりウォルフガング・フォン・ゲーテになった。ベートーヴェンもルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンだ。二人は親交があったが、貴族らしからぬベートーヴェンの振る舞いにゲーテの心は離れていった。大巨匠となっていたゲーテに、青年シューベルトの才能を大いに買っていた貴族たちが彼を紹介しようとしたが、ゲーテは貧乏なシューベルトには歯牙にもかけなかった。シューベルトは尊敬するゲーテの詩に素晴らしい歌曲を作った。