情緒なき郵便営業に思う

 僕は年賀状を余る程購入し、実際余ったら手数料を払い切手や官製葉書に替える。でも切手に替えるには記念切手には交換できない。だから普通の切手が増える。この度、52円切手がそのまま同じデザインで62円切手に変更になると聞く。だったら52円切手を持っている人は10円切手を貼って相手に届けることになる。でも切手を二枚貼って出すのは失礼かなと手数料を出してでも新たに62円切手を買う人もいるだろう。
 僕は昭和36年生まれ、つまり小学生の頃は記念切手の大ブームの渦中だった少年期を送った。その時代を知らない人の為に簡単な解説を。当時切手マニア垂涎の有名な記念切手があった。『月に雁』『見返り美人』などその評価は額面数十円で売値はうん千円もした。だから当時は、記念切手は特別なものでのち価値が上がるなどとプロパガンダが吹聴され、賢い一般人ではない多くの少年たちは記念切手を嬉々として買い漁ったものだ。すると賢い郵政省では記念切手が増殖される。当然そんな切手は価値なんてない。僕たちはそんな記念切手を腐るほど持っている世代なのだ。だから『切手を買い取ります』という業者に、山ほどある切手を持って行っても二束三文、つまり普通に切手で使えば額面分の5万円はあっても買い取られたら3万円もしない。しかも当時の貨幣価値を現在の経済価値に換算すると20万にはなるだろう。だってうどんが80円で食べられたもの。だから僕は売るのを断るのだが、おそらく遺品の整理で切手に興味ない人は(ほとんどそう)濡れ手に粟だ。業者も損なく商売は成り立っている。話は逸れるが僕は高校時代に同級生から随分と図書券を買ったものだ。だって彼らはお祝いにもらった500円の図書券より400円の現金の方がいい奴らなのだ。僕は400円の数枚分払ってでも本が安くなるのが嬉しい。だから僕は古い記念切手も無駄にはしない。むしろ大型郵便にはベタベタといろんな記念切手を貼り付けて送る。おそらく、なんて不躾な人なの!と思われているのかもしれないが僕は全く気にしない。時々「あなたが切手マニアだとは思ってもいませんでした。」なんて返事が返ってくると本当に嬉しい。それ以来その方に封書を送るときはベタベタと記念切手を貼って送る。そんな僕も『国際文通週間』『国宝シリーズ』『切手趣味週間』は図柄印刷が美しいので使わないで保管している。勿論小学生の頃夢抱いていたように今でも価値があるとは思っていない。それよりも、その夢が心の価値と同じように切手に反映されていると切手を愛する人々はそう思っている。そのかけがいのない価値に、郵政民営化になって『宝の持ち腐れ』を前にして未だに対応は愛嬌だけでその場しのぎ、もっと本質に対峙しながら営業しなければ郵政省時代とまったく変わらない。書き損じや余った葉書を手数料を取ってすら記念切手は交換しませんという郵政省!切手にロマンを感じている人への感性が乏しくその場しのぎのお役人気質。どうぞ、『文芸春秋』『オール読切』でも読んで切手文化とそれを支えている人々の雅なるものを、役人はもうちょっと思慮深く切手というものに己の魂をぶつけて欲しい。誰も笑顔と愛嬌だけで民営化なされたとは思っていません。膨大なる切手を慈しみ切手を媒介にして送る相手に想いを寄せ改めて選んだ切手を眺めている人もいるのです。それが切手の精神的な価値を上げるのではないですか?