芥川賞に思う

 芥川賞受賞作「しんせかい」を読んだ。単純に好奇心を刺激させられ面白く興味を持って一気に読めた。ただこの作品が芥川賞なのかと思うと、僕みたいな者でも僭越ながらもちょっと考えさせられた。
 「しんせかい」の題材はとても魅力的だった。大自然の過酷な環境の中で俳優志望と脚本家志望の若者たちが一緒に施設を作り、いろんな作業をしながら共同生活を送りながら彼らが心酔する先生からいろいろな事を学ぶ人間模様溢れる話だ。題材がよければそれだけで楽しめる。陳腐な喩えになるが、上質な本マグロなら市場の試食でも旨い。でもせっかくなら創意に感動できる料理も食べてみたいし
そのような料理を出せる料理人なら「お造り」も意匠を凝らした一品が楽しめるのだと思う。その料理人を選ぶのが芥川賞だと思っていた。僕個人としては、市場の試食よろしくおいしく満足してその辺の食堂で鉄火丼でも食べて帰れば満足だけどね。今回僕は、世の中に多くのポピュリズムが蔓延しているのかなあと感じた。実際に「しんせかい」が芥川賞を受賞しなかったら、僕はこれを読んでいなかっただろう。そんな人間が何万、何十万いれば出版業界としては良かったんだろう。気になったのは選考委員の先生方の選評が『文藝春秋』に載っていて、誰も「しんせかい」を強く推薦したような選評はなかった。つまり「このお店は本当に美味しくて満足できるから行ってみて」的ポジティヴな選評ではなく「なんとなく市場で食べたあのマグロは旨かったな」的な感じで決まったのかなと思った。失礼なこと言ってごめんなさい。
 もう35年以上前の音楽界の話題だ。有名なショパンコンクールの審査員にアルゲリッチというアルゼンチン出身の女性の大ピアニストがいた。彼女もショパンコンクールで優勝していた。その彼女が審査員として大いに推していた当時旧ユーゴスラヴィアの青年ピアニストのポゴレリッチが本選に残れなかった。その事に抗議し彼女は審査員を降りてしまいそれ以来ショパンコンクールの審査員をしていない。今やアルゲリッチは世界中の音楽界で知らない者はいない大巨匠であり、ポゴレリッチも大ピアニストとして有名になった。ショパンコンクールは今でも世界最高峰のピアノコンクールとして有名だ。ポピュリズムはある程度仕方がないが、そこに毅然とした格調をもてば、ショパンコンクールの権威が保たれ、過去からの受賞者のように優勝者だろうが2位や3位あるいは入賞でも現在活躍しているピアニストはいっぱいいる。その反対もある。ただどんな世界でも言えるのだろうが、過大なる評価をプロバガンダで先導される危険性を孕んでいる。よって選者、審査員の役割は想像に絶するより重いものだろう。