久々に乗った半日

 先日購入した『文藝春秋』のコラムに「人間万事塞翁が馬」の故事があった。その文筆者がある時、自分の恩師にその喩えを言ったら違うとたしらめたエピソードだった。僕も間違ったニュアンスで憶えていた。(昔、塞という老人が飼っていた馬が逃げ出した。するとその逃げた馬が彼女を連れて戻ってきた。塞の息子が調教でその雌馬に乗っていたら振り落とされて骨折した。するとその骨折のお陰で徴兵を免れた。)僕はその文筆者同様「良い事もあれば悪い事もある」と思っていた。だが恩師はこう言ったとあった。「良い事もあれば悪い事もある。だから一喜一憂しないでその時の最善を考え尽くせ。」だったかなあ?僕もこの度骨折してもうすぐ1ヶ月になる。あっという間に退屈な時間が貴重な時間に変質して過ぎていった。室内用車椅子も当初、廊下をまっすぐに通行するのもままならなかったのが、2週間も経つと室内の家具の配置とだらっと伏せている犬たちに目の動線を張りめぐらせ巧みに室内を動けるようになった。ベットで横になっているとカイが腰から足下へ丸くなってじっとしている。シータは僕に熱烈なキスをして20分くらい僕のお腹周りを揉み出す。そして布団の中へ潜り込み丸くなる。そこで僕はベットを起こし(介護用ですから)読書する。至福の時間だ。勿論やりたい事は山ほどある。練習できない事と楽譜が書けない事はつらいが神様が与えてくださった最高の時間だと思っている。
 そうそう、今日久々に車を運転してちょっと距離がある病院まで行った。足のギブスは外れて足の運転操作に支障はなかったが、利き手の右手首が固定されて動かなかったので今まで自重していた。今日はカーブ(右折左折も)をいかに少なく目的地へ行けるか夜ベットの中でシータを抱きながらシュミレーションしたように運転してみた。左手でハンドルも操れる。もう運転しても大丈夫そうだ。
 そうそう、僕の好きな諺がある。僕の目の前でそれを使う者がいたらその諺の真意を言ってやる。そう僕は嫌な奴なのだ。でもその諺の使われ方のギャップが本当に刺激的でかっこいい。『紺屋の白袴』どんな大意で使います?『医者の不養生』なんかと同意で使っていませんか?僕もそれを知るまで同じでした。『紺屋の白袴』すなわち、腕の良い藍染め職人は白袴はいて作業しても汚さないくらい腕が良い喩え!かっこいいでしょう!?僕もそうなりたいものだ。えっ、無理って?まあね商売道具の右手首を骨折してるんだもんねえ・・ショボン・・