著作権問題の報道に思う(1)

 実は、このブログもお店と同じくしばらくお休みにしようと思っていた。なぜなら右手首の状態がイマイチよくならない。すでに記したが、救急病院で足の腓骨骨折と肋骨の骨折は処置していただいていた。だけどどうも手首の具合が悪いので他の箇所を診察してもらったついでに右手首が少し痛むので捻挫がヒビではと先生に申告してレントゲンを撮っで見てもらったところ手首も骨折しているのが判明。手首をギブスで固められ右手首がほぼ使えなくなった。それから一週間後、僕は右手首をじっとしていても痛くはないが鈍いと先生に言って診断してもらいレントゲンを撮ったらまったく良くなっていない事がわかった。先生は患部に麻酔を打ち手で骨を矯正してくれた。そしてギブスを指近くまであてがわれより動かせないように固定され、さらに三角巾で吊された。いよいよ右手が使えなくなった。だからブログも安静にしておこうと思ったのだ。
 ところが最近興味深いニュースが耳に入ってきた。僕は長年演奏活動をしている立場から、そして居酒屋を始めた頃の著作権協会との話し合いで、普通の一般人よりは著作権については詳しいと自負している。そして著作権の問題は、今回の報道のように著作権協会と大手音楽教室との言い分と争いといった単純な問題ではない。戦争と一緒で立場が変わると正義もイデオロギーも変わる。本当に複雑な問題だと思っている。それらを少しでもわかりやすく記すので一つの問題提起として考えてもらえたら、いや読んでいただければ嬉しい。
 さて、報道では尺が少ないのでなかなか触れにくいのだろう。まず言っておきたいのは、著作権協会の正義は作曲家や作詞家、アーティストの作品の権利と保護だ。一方、音楽教室の正義は、子供たちに素晴らしい作品を聴いたり練習することで音楽がより深く好きになってくれるようにレスナー(楽器をレッスンする先生)は選曲する。
 では今回の報道の両者の言い分。著作権協会としては今の音楽教室は、アニメなど親しみやすい音楽でレッスンをすることが多いので、それ相当の対価は支払っていただこうというもの。それに対して音楽教室はレッスンでの音楽は完全なものではなくあくまで練習の過程である。だから楽曲を演奏したものとは本質が違う。これらは僕が勝手に脚色したが、ざっとこんなものだろう。
 ここで僕が補足をしておこう。誰にも利害関係がおきない無料の演奏に著作権料は掛からない。ベートーヴェンモーツァルト、バッハ、ショパン等クラシックや古い音楽は著作権料は掛からない。さあ今日はこれまで。上記を覚えていてください。単純なようで実は奥が深いんです。