新たなる生活(3)

 今回の事故については、思いがけず多くの人が絡んできていて、ブログで語るにネタが尽きない。だがここで文字にしない方がいいだろうと思われるので今回の件は語らない。この一週間は慌ただしいような暇なような時間を過ごしたが、それより色々な人との関わりがあって、小さな世界で生きていた自分が大きな社会で生かされていると感じた一週間でもあった。事故の相手側、保険会社の人間、警察の人間、弁護士などそれらの人々との関わりは通院以外家から出られない僕にとってちょっとした人間観察を楽しんでいる。
 ただ救急病院の処置だけは今でも腑に落ちない。大したことではないが僕にとってちょっとしたミステリーなのだ。22日深夜0時半に事故られ救急車で搬送された大病院での処置は、前頭部の血を消毒して(確かにその時は痛みは感じられない位麻痺(興奮)していたが)脳神経外科へ行くように封をされた書類を渡され帰された。その日の朝、全身の痛みで全く身体が動かない。昼前になっても良くならない。家族に言って救急車を呼んで再び大病院へ搬送してもらった。レントゲン撮影の結果、左足ひ骨と右ろっ骨一本の骨折とわかり足にギブスで固めて帰宅した。次からは近所の整形外科へも行く事になった。
 さて日を改め脳神経外科で受診,MRIや頭部レントゲン撮影の結果全く異常はなかった。ただ頭頂部に出血痕があるため毎日消毒手当てをするように言われた。僕は純粋に脳神経外科で受診させられたのは頭を打っていないかを診てもらうためかと思っていた。僕は先生にそれを訊ねたら「違うよ。建保症の疑いありって書いてあったからで、それも心配ないからね。」だって。なんじゃ!????それは!事故の5日目に痛み止めの薬が切れてから来なさいと言われていた近所の整形外科へ行った。右手首がねん挫で痛いと僕が言うと、先生が僕の手首を見て「ちょっと腫れてるねえ、レントゲン撮りましょう。」と言われた。レントゲン撮影が終わって再び診察室に入ると先生は「手首も折れていたよ!」と言って僕の右手首をギブスで固めてくれた。骨折が3か所になった訳だ。
 それより楽器が吹けなくなったのがとっても辛い。だってこれだけ時間をもてあましているのだから。今まで骨折していると思わずに使っていた右手首が一番痛く疼く。だから右手は特に優しくしてやらなければならない。