サムソンとデリラ’(9)

今日は色々な民族楽器等を駆使した演奏をある敬老会でした。10年前までは時々このような演奏をしたのだが最近はしてなかったので楽しく練習を重ねてきた。フルートの練習は主に技術練習だが、民族楽器は曲は民謡等技術的には優しいがそれぞれの楽器で指使いが違うので意外に苦労する。簡単な曲なので楽譜は見ないで演奏するが時々曲を見失ってしまう。例えば、アイルランドスコットランド民謡で、ロンドンデリーの歌、アニー・ローリー、庭の千草の冒頭がすぐに歌えますか?あるいは聴いてすぐに曲がわかりますか?というような脳トレの連続だ。だから練習の質は違ってくるが今日は実に楽しかったです。さて今日は『サムソンとデリラ』のクライマックスです。最終章。
第3幕
 髪を切られ怪力を失ったサムソンは目を抉られ盲目にされた上牢獄にて石臼を挽かされていた。サムソンは神に背いた事に後悔する。そして自分の仲間の民族からも忠告に従わなかった事で非難される。神殿では高僧とデリラが祝杯をあげている。そこへサムソンがひきたれられ皆の晒しものになる。サムソンは左右の手に繋がれたロープを左右の柱に繋がれる。サムソンは悔い改め神に祈り最後の怪力を自分の命の代償に願う。ロープを強く引っ張ると柱が倒れ神殿が崩壊し、多くの敵民族と高僧もデリラも亡くなった。当然サムソンも。オペラでは最後の断末魔は高僧とデリラの悲鳴なのだろう。
というのもオペラは原作と脚本も違うが(それは今回感じて頂けたかな?)それに演出によっても全く違ってくる。例えばモーツァルトのオペラでは貴族世界のやりとりが時代考証的にもノーマルなのだが、斬新な演出では現代社会の設定もある。サラリーマンがモーツァルトを歌うのだ。僕は好きではないが・・・。