サムソンとデリラ(1)

サムソンとデリラ』も旧約聖書の中の有名な題材で映画にもなっている。フランスの作曲家によるサン=サーンスの同名のオペラもある。
 旧約聖書は相互関係がややこしく人物名が僕の頭に入らないので読破した事が無い・・と、前に書いたが、今この項目を聖書で読んでいる。というのが、サン=サーンスの『サムソンとデリラ』より聖書はもっと長いだ。ようするにオペラは脚本=作曲の方が大事だからだ。サムソンとデリラは聖書ではもっと長いと言っても、旧約聖書全1323ページ(僕の聖書では)のうちの6ページだけなのでたやすく読む事ができる。
サン=サーンスの『サムソンとデリラ』ではそのクライマックスを中心に創作されている。例えば怪力のサムソンがデリラにたぶらかされ怪力を失う。そして敵軍に捕えられ目をくりぬかれ、牢獄の中で重たい臼をまわし続け、民衆の前にて晒しものにされるが最後に奇跡はおきる。という本当に簡略したストーリーで申し訳ないが、また次に少し詳しく記します。で、いまのストーリーを聞くだけだとサムソンが可哀想な人物のように思うが、そのクライマックスに到るまでの過程を聖書で読むとサムソンに対する認識が変わってしまう。サムソンの性格を簡単に僕なりに表現をすれば、彼は神に選ばれた怪力という能力を傍若無人までに振る舞い(それは半端ではない)大変な女好きなのだ。
では、次回は旧約聖書から簡単にサムソンの所業を記そう。