マタイ受難曲より(3)

マタイ受難曲は3時間以上の長い曲だ。2つの混声4部(ソプラノ、アルト、テナー、バス)が曲全体の流れを支える。合唱の音楽的なステレオ効果がすばらしい(特に教会では)。 この曲にはイエス(キリスト)ペテロ(イエスの弟子)ピラト(審問官)ユダ(イエスの弟子であり裏切り者)が独唱で入る。彼らは全員バス(低い男声)だ。でもこの曲は配役はないがソプラノソロやアルトソロなど女声も独唱で入る。しかしながらこの曲の崇高な精神性を支配しているのは福音史家なる人物なのだ。彼は語り部だ。みなさんレチタチーヴォという言葉を聞かれた事はあるだろうか?音楽をしている人はみんな知っていると思うが、日本語では朗唱という。朗唱はオペラにおいてよく聴かれるが(当然『ナルキス島のアリアドネ』にもたくさんでてきます)要するに簡単な和音の中で独唱者が語り口調でしゃべっているように歌うところだ。オペラではその後の本格的な歌(アリア)がセットになっているケースが多いのだが、このマタイ受難曲では福音史家がテナーでレチタティーヴォを歌いながら圧倒的な存在感でこの受難曲を展開する。ここでは福音史家がイエスの生涯を語って(朗唱)いる。だからこの曲の中で一番多くの場面で登場しているのは福音史家だろう。2つの合唱団にしたことや、4人の男声の独唱をみんな低音のバスにして福音史家だけ高音のテナーにしたバッハの天才的な才能はすばらしい。よく響く教会を想像してもらいたい。独唱者の低音の深み、2か所からの合唱の空間へ広がる響き、そして高い天井から降りてくるような高貴なるテナーの朗唱、本当にバッハは素晴らしい。そしてこのマタイ受難曲の中にフルートの美しい曲があるのだ。