マタイ受難曲より(2)

1685年〜1750年に生きたバッハのみんながよく知っているメヌエットやクラシック通好みの数々の名作もまずここでいうバッハと思って頂いていい。彼の作品は唯一無比のクオリティ高いオリジナリティに溢れている。その後の有名な作曲家モーツァルトベートーヴェンもバッハの研究をしていた。そのバッハは独学で作曲を勉強したのだからまさに天才だ。ただバッハは300年続く音楽一家だったので強烈なDNAが宿っていたのだろう。彼の晩年の頃は彼の息子たちの方が大出世して有名な作曲家になっていた。ただ皆さんが承知しているバッハはあのバッハで間違いない。ただ時代が変わったのだろう。いろいろな音が絡み合うバッハの音楽やその時代の音楽(ポリフォニー)は人気がなくなった。もっと旋律がわかりやすく和声がしっかりして明快な音楽(ホモフォニー)が好まれた。そしてバッハは人々の記憶からなくなったのだった。
 さて1809年から1847年の40年に満たない生涯を過ごした天才作曲家がバッハと同じドイツにいた。メンデルスゾーンだ。彼のヴァイオリン協奏曲ホ短調は超有名な曲なのだが(地方にいる僕でも10回以上は生演奏を聴いている)そんなの知らないって?多分結婚している多くの方々は入場の時の行進曲でお世話になっているとは思うのだけど・・・まあいいか。彼は当時のドイツの音楽界で絶大なる影響力を持っていた。(権力ではないよ)そのメンデルスゾーンが当時忘れられていたバッハの存在を復活させた演奏が『マタイ受難曲』だったのだ。(やっとマタイ受難曲の話になったか〜ってすみません)
その貢献でバッハは復活した。フルートの名曲も数曲あるが、その中のバッハ自筆の一曲は肉屋さんの包み紙になっていたとか、表と裏で全く違う曲が書かれていたとか、その後のバッハ研究家には敬服するばかりである。