信じられない演奏会(2)


 そのコンサートは主催がいつもと違った。そういえば今までその会場の主催以外のコンサートに来た事はほとんどなかったと自覚した。というのが、客層がというか雰囲気がいつもと違うのだ。演奏会というのは演奏者だけでなく観客もその雰囲気をつくるのだと実感した東京でのあるコンサートを回想した。で、会が始まった。通常演奏会は演奏する団員が登場し(場合によってそこで温かい拍手が起こる)コンサートマスターが登場しチューニング(音合わせ)して、それからピアニスト、指揮者が登場する。僕もそう思っていた。ところがそこでは主催の関係者一人が出てきた。まあそのケースもままある。出しゃばりな人間はどんな世界でもいる。僕は(そうかあ主催者が挨拶をするんだ・・・)と思った。ところがだ!その挨拶が長い。彼はこのコンサートの挨拶を逸脱していた。まだ披露宴の長い祝辞の方が我慢できる。そしてその男の最後の言葉は「きっと感動するでしょう。どうぞお楽しみください。」だった。そしてオーケストラ団員が登場し、ピアニストと指揮者が出てきて演奏会がやっと始まった。曲はバルトークのピアノ協奏曲第3番。演奏の批評はここでは省こう。演奏が終わってピアニストが出てきた。そしてマイクを握って話し始めた。こんな事は異例だ。こいつもだらだらと長い話をしはじめた。要約すると、「2日前のオーケストラとの練習時に手を壊した。だから後半のブラームスは弾けない。かわりにオーケストラでベートーヴェン交響曲第7番をする。」という事だった。勿論、僕が要約したこの話しを彼は誠意をもってダラダラと長く話してくれたのだった。が、ブラームスを楽しみにしていたし、一人のピアニストが一夜に二曲の協奏曲をする事に興味を持ってわざわざ演奏会チケット代より高い交通費を使って来た僕にとって正直「ふざけんなよ!」と心ではなく、実際小声でつぶやいた。会場はよく頑張った的な温かい拍手が響いていた。
 信じられない位ふざけた演奏会だ。だったら2つの協奏曲をする!なんて大風呂敷広げたぞ的チラシを作るな、と言いたい。手の管理は当然演奏者の自己責任だ。そして主催者側に僕の怒りが向かった。演奏会冒頭に披露宴のスピーチよろしく長ったらしくだらだらとしゃべる暇があったのならプログラムの変更を伝えるべきだろう。「ピアニストが偏見(手の調子が悪い)を持って聴いてほしくなかった」と良心的に解釈するのであれば、あの無意味な長い挨拶は何だったのか?と思う。楽しんでください!と、これがその日のピアニストが弾けないのがわかっていての挨拶なのか?と思った。
 しかも代わりの曲がベートーヴェンの第7番の交響曲だという。これは名曲だが「困った時の第7番」で有名な曲だ。その意味は短絡的ではないのでここでは詳しくは述べないが、少なくとも2日前にブラームスから変更されたベートーヴェンの第7番は聴きたくない。勿論急な変更での演奏を楽しみにできるオーケストラはたくさんある。が、その日のオーケストラはプロではあるが全くその域ではなかった。僕は早々会場を後にした。帰宅時の駅までは車だったのでアルコールは飲めない。僕はノンアル・ビールを3缶買って新幹線に乗りこんだ。「信じられん!信じられん!」と呟きながらやけ酒をのんだ!そんなコンサートだった。初めての経験だった。そんな経験も「一生に一回くらいはいいか!」とノンアル・ビールで酔った僕は・・・・いや思ってないからこうしてブログに書いているんだろうなあ・・・