音楽の女神ミューズ


(ミューズって、こんな顔?)
 僕はミューズへの作法を忘れていたのかもしれない。だからミューズは僕を見捨てようとしたのだろう。
 ミューズのもとを訪れるには身だしなみをきちんとしていかなければならない。つまり音出しウォーミングアップで美しい音を創らなければならない。次にミューズの前では礼儀ある作法が必要だ。つまり音階練習や分散和音、半音階練習、トレモロ等基本練習が必要だ。礼儀ある作法は繰り返し習慣的に行い身につけなければならない。それでやっとミューズと対話ができるのだ。だがミューズの前では緊張と謙虚と節度を持たなければならない。それだけミューズはデリケートなのだ。
 僕はそれらをいつの間にか忘れていたのかもしれない。一杯ひっかけながら身だしなみを整え、いや整えた気になっていただけかもしれない。礼儀ある作法も、馴れ合いで随分おろそかにしていたのだろう。何よりも酔っ払ってミューズと対話するなんてもってのほかだ。、緊張と謙虚と節度からほど遠いものだったのだろう。だから僕はミューズと対話ができなくなった。こうして書くと、まるで恋人時代の対応と結婚後数十年の経った関係のような違いみたいだ。嫁さんならそれも仕方がないか・・・?でもミューズはそれではいけなかったのだ。
 僕はこの2週間真面目にミューズへの対応を一つ一つ階段を踏みしめて登るように、全ての所作を確認しながら謙虚に生活した。ミューズはまだ僕に優しかった。僕の許にキューピットを寄こしてくれた。そのキューピットが僕をとても助けてくれた。
 先日、萩市の小さなレストランで行われたミニ・コンサートも無事終えた。レストラン内だと思っていたら外の庭での演奏だったり、7時開演だと思っていたら6時半だったり、しかもそれを知ったのが6時を過ぎてからだった。照明はほとんど無いに等しく簡易の舞台は暗くいろいろな事があったが、僕はとにかく謙虚にそしていい緊張をもって演奏した。ミューズが寄こしたキューピットの大いなる助けもあって僕は何とかミューズと対話する事が出来た。こんないい対話をしたのは久しぶりだった。