ベートーヴェンの英雄


(英雄って私の事?)
 昨晩、ベートーヴェンの英雄を聴いた。ウィーン・フィルのメンバーも入ったウィーン中心のカンマーオーケストラ(室内合奏団)の生演奏でだ。規模の大きいこの曲を室内オーケストラで聴く事自体楽しみだった。しかも指揮者はいない。つまりアンサンブルでこの大曲を演奏したのだった。この合奏団を聴くのは初めてではない。だからそのレベルの高さはわかっていた。だがそれがベートーヴェンの英雄となると話は別だ。この小編成のオーケストラでこの名曲をどのような演奏で表現してくれるのか期待でいっぱいだった。
 ベートーヴェン交響曲第3番がなぜ『英雄』というタイトルが付いているかというと、そのエピソードは・・・ベートーヴェンは本来は革命で民主化に導いたと支持していたナポレオンの為に作っていた曲がこの英雄だ。だがナポレオンが皇帝になったと聞いたとたん、彼もただの野心家だったのかと嘆きこの曲を破棄しようとした時、ベートーヴェンの弟子が「この曲を書いたあなたこそ英雄です。」と言われて思いとどまった、という名曲だ。それで思いとどまるベートーヴェンこそ野心家だと僕はちょっとだけ思うのだが、僕はそんな巷話以上にこの曲は音楽の歴史を変えたと思っている。その理由を説明すると専門的になるので、一つだけ、それまでの交響曲が30分以内の長さであったのがこの英雄が50分以上の大曲であるのもその理由になろう。だから大オーケストラでこの曲を聴いた時の感動は震えがくるくらい感動する。で、昨晩のカンマーオーケストラの英雄は素晴らしいものだった。一人一人の演奏家の質が高ければオーケストラの規模は関係ないのだと実感させられた。さらにこの曲の特徴である各弦楽器や管楽器の独立性が小規模だからこそ鮮明に浮かび上がらせられていて、その意図が鮮明になっていた。これがこの曲の本来の曲想の本質だったのかとも思わさせられた。なにより素直に素直に感動した。興奮した。
 今朝もこの興奮が醒め止まず、頭の中で『英雄』のいろいろなフレーズ(旋律)を思い浮かべながら犬達の散歩に出かけた。するとそれが伝わったのか、歳とって我儘になりあまり歩きたがらないルナピンスキーが、今日は張り切って張り切って、昔よく行った数か所の河川敷へ行きたがり、行っては自由に馬のように走り回り、あげくの果てに川まで入ってはしゃいでいた。最近は朝1時間歩くか歩かないかのお散歩も今日はたっぷり2時間もかけて僕は歩き、ルナピンスキーはいろいろな場所で走り回っていたのだった。ちなみにライヴィッチは忠実なもので、いつもだがルナピンスキーの我儘に文句も言わず付き合ってくれる。ルナピンスキーが英雄的なベートーヴェンでライヴィッチがその弟子というところか。