夢のあとに


(ああ、夢だったか)
 しばらくブログは書けないと思っていたのに、朝の散歩から(ベートーヴェンのように崇高な散歩ではない。ただの犬たちの散歩のおつきあいだ)僕の頭の中にフォーレの「夢のあとに」が鳴り響いている。あ、そうだった。話は戻るが、崇高なベートーヴェンの散歩に違いはないが、あまりの汚い格好の為警察に捕まったこともあるらしい。しかもだ自分はベートーヴェンだと名乗っても信じてもらえなかったらしい。結局知人が身元保証し引きとりに迎えにいったらしい。頭の中は崇高でも身なりも大切だということか。
 崇高からほど遠い生き方をしている僕は前回の訳のわからないブログで3月を締めようと感じていたのだが、2014年3月が特別な月だと書いたので、そして朝から鳴り響くフォーレの「夢のあとに」のせいかこのテーマで3月を締める事にした。
 フォーレの音楽も崇高だ。そして深い抒情が根底にある。だからフォーレの音楽は僕の心の奥底に入りこみざわめかせられる。つまり俗的な僕だから簡単にフォーレの音楽が入ってくるがフォーレの崇高さに昇華できずにいるのだろう。
「夢のあとに」が名曲だとの証明は、歌曲であるこの曲がヴァイオリンやチェロ、そしてフルートでもよく演奏されることで十分だろう。歌詞は簡単に書くと、3つにわかれ、1番は天から美しい女性が現れその女性に魅かれ幻想する。2番はその女性と天より一緒に逃げて結ばれたいと願う。3番は夢から覚めむなしさに嘆く。僕が簡略したのでつまらない詩になってしまったがとても美しくある意味非常に官能的な詩だ。そしてその詩をたとえ知らなくてもそれを感じられるフォーレのこの曲は小品でも素晴らしいのだ。今ふっと、思った。その素晴らしい曲を今日の自分はどのように鳴っていただろうか?ソプラノではない、ヴァイオリンでもチェロでもフルートでもない。ん?ではどのように?そうだ!頭の中ではなかった。僕がただ口ずさんでいただけなんだ。まさしく夢から覚めた男そのものだった。3月の晦日にふさわしい曲となった。