G線上のアリア


(こんな男の子ももう大学生になりました)
 来週息子の通う事になった大学の入学式がある。全く興味ないが、家内が行くというので車で送りかたがた顔を出す予定にしている。なぜ興味がないかというと、文化系音楽しかわかならい僕だが、息子はこてこての理科系だからだ。第一、その大学の受験も「失敗したからダメだろう」と言う息子に僕は「何がダメだったん?」と訊いたら息子が一言!「言ってもわからん!」だって。全く正論で納得しているが、そんな奴の入学式になんでいかなくてはいけないのだ、と僕は思う。それに僕がでた大学ほど感動的な入学式、卒業式はないとも思っている。
 前回のブログの続き。つまりクロウタドリの影響だろうが、僕は大学で学生会長をやっていた経験からか、卒業式で謝辞を述べることになっていた。なのに卒業演奏であんな事をしでかしたからか、またまた学長室へ呼ばれた。学長ったらそこまで僕を愛してくれていたのだ。因みに学長は神父でもあった。そしてそこにはシスターもいた。要件は簡単だ。ようするに卒業式で読む謝辞を持ってこいとの事だった。やはり卒業演奏で僕の信用は失墜したのだろう。
 僕の通った大学の入学式は感動的だった。だって、生のパイプオルガン演奏のエルガーの曲威風堂々で入場するのだ。それに先輩達のグレゴリア聖歌もあったような・・・(間違っていたら誰か指摘してくださいね(笑))そして卒業試験はバッハのG線上のアリアのBGMで卒業生の一人一人が学長から証書を受け取って、ガウンと6角帽いや8角帽?の房を右から左へいや左から右へ、卒業の所作をしたのだった。いやはや懐かしい思い出だ。
 そうそう卒業式後、僕の伴奏をしてくれた同級生の先生から(その同級生、東京出身でその先生に習いたいからと遠く広島へきていたのだった)「昨日はナイスプレイで、今日はナイススピーチ!」と気障に言ってくれたのを今思い出した。そんな家庭的ないい大学だった。