クロウタドリのエピソード


(私も鳥を見つけるのが得意だよ〜❤)
 これは悪意でも自慢でもない。ただのエピソードだ。もしかして誰にも真実を語らなかったかもしれないし、もし知っている人がいるとしたらただ一人だろう。このメッセージは当時の迷惑を掛けた人達に知らせたい。というか、たぬのコメントで当時を鮮明に思い出させて頂いた。(笑)
 僕が某音楽大学の卒業演奏をしたのは前回のブログに名前をだしたメシアンの『黒歌鳥』だった。当時は『黒つぐみ』と題されていたこの曲を、僕は東アジアにしかいない黒つぐみを何故メシアンが作曲したのか?との疑問から辿りついた結果がヨーロッパに生息するナイチンゲール、ロビンと並ぶ3大美鳴き鳥クロウタドリだったのだ。実際、両方の鳴き声も聴き比べた。確かに似ている!でも違う!その違いを演奏に表現してみたいと思った。
 表現は演奏だけではなく、つまり卒業演奏ってみんなドレス着て杓子定規な作法で演奏して・・・つまんないとその頃は思っていた。だから僕は何か面白い事を表現したかったのだ。それで演劇部の人たちに頼んでスポットライトを操作してもらう事にした。僕は演奏会の常識である服ではなく、クロウタドリ風なセーターを着て演奏をし、それをスポットライトで演出してもらうという考えだった。(その時はそんなに大騒ぎになるとは思っていなかった。)
 不幸の伏線はリハーサルにあった。リハーサルで僕達は考えた事を実際にやったのだった。リハーサルは一番目だった。だからか?寝坊か?サボりか?担当の教授はその時そこにいなかった。
 で、本番!実際にその演出のもと僕は演奏したのだった。その後が大騒ぎだった。当日担当の大教授は怒りだした。ただ、その後が僕は苦しかった。だってその大教授は僕に怒りをぶつけるのではなくスポットライトで演出した演劇部の後輩達に『停学させる』と言ったらしく、彼女達から「こんな結果になるとは思っていなかったです。」と僕が非難された。僕も「本当に申し訳ない!」とただただ謝るしかなかった。
 僕はその後を今も忘れない。その一つ一つのエピソードは本当に本当に今の僕の宝物だ。
 その後学長から呼び出された。スペイン人だった彼は僕を学長室に呼んで日本語でこう言った。「あなたのしたことは卒業演奏会の規律を破った事では悪いです。だが、作曲家の私の意見としてはあなたがした事は大きな提言をしてくれたとも思っています。私はあなたにわだかまりはありません。胸を張って卒業してください。」僕は学長室を出て泣いた。
 卒業式の日、「先輩、いろいろありましたが卒業おめでとうございます。」と言って演劇部の後輩達が花束をくれた。なによりもなによりも嬉しい言葉であり、今でも最高の花束だと思っている。その時も泣いたし、今これを書きながら泣いている。一生に一番嬉しい花束だったし今後もこれ以上の花束は無いだろう。
 その他のそれに関するエピソードを! 
 僕のフルートの先生が僕をいきつけのオカマバーへ呼び出した。今は覚えてないが、その時僕はかなり遅れて行った。その時マスターが言った。「あなたなのね。先生心配していたわよ〜。あんな先生、私初めて見たわ。先生を心配させてはダメよ。」僕は先生に感謝した。今でも感謝している。
 一方、怒り心頭の大教授は慣例であった卒業旅行を、僕が行くなら行かない、と後輩たちに言ったらしく、後輩は僕に行かないでくれと言ってきた。その事はなんとも思っていないが、ただ残念なのは・・・旅行代が返ってこなかった事と、旅行先で渡される慣例の卒業生への贈り物を、戻ってきた後輩が「先輩あそこに置いてあるから」と指先で刺された先の机に置かれた変なペンギンは別の意味で印象に残っている。だから僕は現在でも後輩達の演奏会の協力はしていないし、これから後もする気はない。つまり僕は今でも幼稚なのだ。
 あの頃そんな幼稚な僕に付き合ってくれた後輩がいた。なんか妙なきっかけで、僕は一週間かけてその後輩とやりとりした過去の手紙を読んでしまった。今、別にある作曲家とピアニストの愛の書簡を読んでいる。本当にごめんなさい!本当に幼稚だったと実感している。でもこの性格は今も変わらないから・・・