パンの笛


 ドビュッシーのフルート独奏の名曲にシリンクスという曲がある。日本では長く「パンの笛」と題されていた。やはりシリンクスとパンの笛ではニュアンスが違うだろう。そういえば同じドビュッシーピアノ曲で「金の魚」を長く『金魚』と題されていた。これもニュアンスが違う。フルートの近代の名曲でメシアンの「黒つぐみ」がある。これもやっと最近『クロウタドリ』と題されてきた。自慢ではないが、僕は既に約30年前の卒業演奏で『黒歌鳥』とプログラムに記して演奏した。だって黒つぐみはヨーロッパにはいないのだ。メシアンが聴いたのはクロウタドリだったのだ。
 話を前回に戻そう。エコーには恋人がいた。ヘラからオウム返しにしか話せなくされたエコーは、恋人が言う事にもオウム返ししか言えなかったのだ。今の恋人達で言えばこんな感じだろう。「やあ、元気だった?」「やあ、元気だった?」「どうしたんだい?ちょっと変だぞ!」「どうしたんだい?ちょっと変だぞ!」「何を食べに行こうか?」「何を食べに行こうか?」何を話してもこんな感じだからその恋人は気持ち悪がって逃げて行ったのだった。僕からみれば、エコーがおかしいと、もっと愛情を持って様子をみてやれたらよかったのだと思うのだが、そこはギリシャ神話の世界!イケメンの恋人には可愛いニンフ(妖精)は五万といたのだろう。不細工な人間の僕とは格が違うのだった。結局恋人に振られた可哀想なエコーは何も食べられなくなって痩せ細って最後は身体が無くなって声だけになってしまった。それでもエコーはオウム返しにしか言えなかったのだった。そんな可哀想なニンフの話だ。
 だが音楽家たちはそのエコーを愛おしく繊細に気を使いながら演奏にいかしている。まさしくエコーへの弔いの賛歌なのだが、世界中のそして過去の全ての音楽家の数を考えたら、エコーはニンフから音楽の神へとなったのではないかと思う。