嫌らしい気どりやの高雅なワルツ


(高雅って私の事?)
 自己嫌悪って、自己陶酔の歪な表現なのだろう。
僕自身、前回のワルツにひっかけてまたワルツを持ち出すなんて、なんてナルシストなのだろうか。ナルシストとは自分の美しさに惚れるのだが、本質的なナルシストとは醜い自分にも関わらずその自分に惚れてしまう事なのだと、僕は思う。
 ここで突然注釈だが、この曲は前回の曲とは全く関係が無い。前回の続きで2曲目のワルツだと思ってもらったらみんなの思考が崩壊してしまうだろう。ではなぜ僕がこんな思わせぶりなタイトルを付けたのか?それは単純にワルツにひっかけたかっただけだった。ようするに僕はまだ単純に幼稚だった訳だ・・・と、自分を卑下すればすむなよと非難する声も聞こえてくる。
 さてナルシストの語源、ギリシアの神ナルキッソスは16歳の時妖精エコーと恋に堕ちた。エコーは音楽的に重要な人?なので次回のブログで話をしよう。ある時ナルキッソスのまえに月の神アルテミスが現れた。何故現れたのか?・・・これは省略する。ナルキッソスは随分救われた思いだっただろう。僕はあなたがアルテミスのような存在だとは思っていない。ただ自分が本当にうぬぼれ(ナルシス)ていいのだろうかと思う。おそらくアルテミスはB型だろう。僕はA型だが、アルテミスの神のような言葉を信じたA型の僕は、その結果としてナルキッソスのように自害することになる・・・訳はないなあ(笑)