今日はテレビに張り付いて


(今日のワイドショウは興味津津)
 世の中で今騒がれているある作曲家の名前を知らない者はいないのだろう。僕は正直昨日まで彼の名前は知らなかった。それを嫁さんに言うと「え〜、私は名前は知っているわよ。だってあれだけ新聞の広告欄にデカデカと載っていたじゃない。現代のベートーヴェンとか言って。」「ああ、なんか見た事あったなあ」そんな会話がテレビの前で交わされているその向こうで、ゴーストライターだという作曲家が会見していた。
 昨日までその人間を知らなかった自分がとやかく言えないのだが、今日の会見はいろいろと考えさせられた。それはオウム事件以来の感情だった。共通しているのは、僕があっち側にいてもおかしくなかったよなあ〜という嫌な感慨と後味悪い恐怖感だ。
 僕も少しは作曲を勉強した。作曲や編曲も行ってきた。そのほとんどは勉強の為でそれでギャランティー(報酬)をもらえるなんて皆無にちかい。実際に、演奏者の自分の立場からいえば無名の者の無名な曲を報酬払って演奏する余裕なんて演奏者にはない。演奏者のほとんどもまた無報酬に近いからだ。
 音大講師になりたての先生は、映画音楽のゴーストライターをした。その報酬が数万でもましては数十万なら天にも昇る気持だっただろう。かれは功名心ではなく純粋に音楽を愛しているのだ。(それは今でも)
ところが相手が悪かった。相手は自分を売る為にあらゆる方法を用いた。(広島出身の被爆二世、被災地の鎮魂歌、自分は耳が聞こえない聾唖者、しかるべく現代のベートーヴェンだと自己演出していった。)おかしいと思った人は周りにいた筈。でも、マスコミにのって動き出した巨大なる音楽経済は神の如く、人々の俗なく言葉を封印した。今回の会見が純粋な音楽の神の勝利だと思えば救われた気がする。僕もゴーストライターに喜んでなっていた側だ。マスコミは本当に詐欺行為の自己演出した自称作曲家の耳がいい聾唖者をどうして見抜けなかったか検証するべきだろう。
 僕は昔、ベルリンフィルのメンバーによる演奏というマスコミの記事を糾弾して関係者から営業妨害で訴えられ、警察署に呼ばれ警察官が自宅にきた経験がある。どうなったかって?最終的にどうにもなっていないのが真実を物語っているだろう。
 さあ、雪の中お店にでて仕事しよう。この前バロック音楽をCDから耳で楽譜におこした何時間分のギャランティーは3000円のキープ一本の焼酎何倍かの奢りであり、そのキープも3ケ月は店にある。そんなものなのだ。売れてる音楽家なんて(特にクラシックは)1%もいやしない。
 ごめん!あと補足。新聞に「いい曲なら誰が書いてもいいではないですか!」という意見があったが、多くの聴衆は大衆迎合で動かされるのです。同じ曲でもベートーヴェンの曲だよといえばよく聞こえ、無名だと全くだめ。あのAKBだって売れない時期があった訳で、だからマスコミの社会的責任は大きいのです。