調子に乗ったあげくの果て(1)


(私達いつも調子にのっています)
 日曜日の感動のコンサートに続き、月曜日も素晴らしいコンサートを聴く事が出来た。福岡市のアクロスで行われた浜松国際ピアノコンクール優勝者リサイタルと冠うってのイリア・ラシュコフスキーピアノリサイタルだ。平日の午後2時開演というのがさすがに都会だ。実際に行ってみると満員とは言えないが予想以上にたくさんの観客が入っていた。そして演奏だが、後半のムソルグスキー展覧会の絵は圧巻だった。有名なピアニストでも終盤にミスタッチがある箇所も無難にこなしただけでなくテンポも盛り上げ一気にフィナーレにもっていった手腕は素晴らしかった。勿論それにはピアニッシモも美しさと音色の豊かさがあってこその効果だろう。幸せな時間を二日連続で過ごす事ができたのだった。
 さて、私がなぜ牢屋に入っていたのか?という話の続きだが、前の日の事を思い出してみた。
 その日は知人のピアノ発表会でその日の最後のゲスト演奏で僕はオーボエファゴットとピアノでのアンサンブルで出場した。本来ならプレッシャーもなく楽しく演奏できる機会だったのだが、その日の僕の精神状態は違った。極度の緊張状態にあった。それには理由があった。
 その日の一週間前に同じメンバーでコンサートをした。午前午後各一回30分の演奏を二日間、計4回行った。初日の午後のコンサートでの事だ。急に音が出なくなったのだ。楽器が悪い訳ではない。緊張しすぎた訳でもない。練習不足だとは思われない。つまり何故こんな状態なったのかがわからないのだ。午前の演奏は全く問題はなかった。だからますます不可思議だった。二日目の演奏まで生きた心地がしなかった。極度の緊張と不安の中で過ごした。二日目の午前の演奏は無事に演奏できた。それでも生きた心地がしなかった。午後も無事終えた。それでもホッとはできなかった。それは一週間後のその日の演奏を控えていたからだ。僕は結局一週間その緊張状態を継続していかなくてはならなかった。(つづく)