第三幕第一場(6)

「多賀子さんは左のリンゴを褒めてくれましたが、右のリンゴは何故良くなかったのでしょうか?」
「だって色づかいは暗くて気持ち悪いし、形も歪んでただれているし、まるで腐ったリンゴみたい。」
「それなんですよ。左のリンゴは印象派が現れる以前の描き方です。特に写真の技術が完成されるまでは、絵画は写真のように写実的であった訳です。実物に似ていれば似ている程評価が高かったのです。ところが印象派の絵は、リンゴそのものを描くのではなく、リンゴのような絵でよかったのです。だから多賀子さんが、右のリンゴの絵が暗くてただれて腐ったように見えたのなら、その印象が正しいのです。もしこのリンゴが美しい女性の傍らにあったのなら、ただれて腐ったこのリンゴこそ、その女性の内面を印象付ける象徴だったのです。だから印象派の画家達は、被写体が何かを精密に描くのではなく、どのような物も自分の印象に投影させて表現していたのです。だからドビュッシーは音で海や雲や牧神の午後のけだるさを表現したのですよ。」