ちょっと休憩(香菜里屋のこと)

 私には中学時代からの長い付き合いをした親友がいた。彼は精神的に早熟で中学時代は親友というような対等な関係ではなかった。私達はしばしば塾の帰りに公園のブランコに座って将来を語り合った。彼は絶対に小説家になると、そして私は音楽家になると。
 その後高校から別々の道を進んだが、彼は年末になると決まって突然に私の実家へ遊びに来た。そして大酒を飲みながら愛を語り、文学を語り、音楽を語り、人生を語った。
 決して順風満帆とはいえない20代の私達はお互いの人生を励まし合った。彼がいたからこそ私は音楽を頑張れた。
 その彼が30過ぎた頃、彼の本格ミステリー小説「狂乱廿四考」で彼は第6回鮎川哲也賞を受賞した。その後も彼は北森鴻という作家として名作を次々と書いていった。その名作のひとつが「花の下にて春死なむ」だ。彼はこの小説で第52回日本推理作家協会賞短編及び連作短編集賞を受賞した。彼は連作短編を得意にしていた。この本はその連作短編で『香菜里屋』はそこに登場する名店だ。いろいろなお客さんが集まり、マスター工藤哲也と共に様々な事件を推理するという楽しい連作短編集だ。因みに香菜里屋を舞台にしたミステリーは、『香菜里屋シリーズ』として『花の下にて春死なむ』から『桜宵』『蛍坂』『香菜里屋を知っていますか』と続く。だから赤ハリ先生が居抜き物件として借りた店舗は本の中ではあるが間違いなく実在したのだ。
 彼はよく私に小説を書けと勧めていた。その時は全くその気がなかった。というより彼の読書量、努力、博識、彼の才能を中学時代からよく知っている私が小説など書ける訳ないと思っていた。彼と会うのは至福の時間だった。私の中の全ての感性が彼の発する言葉に集中した。彼と飲む酒程旨い物はなかった。
 その彼は3年前の1月25日、突然に他界した。あまりにもあっけなかった。クリスマスに私のコンサートに来てくれ、年末二人で忘年会をして、今度私の家族と一緒に河豚を食べようと言っていたのにだ。私の人生の楽しみの半分が彼と共になくなった気持ちだ。
 こんな私がちょっとした小説が書けているのも間違いなく彼のお蔭だ。前作音楽ミステリー『調和の霊感』にでてくるストラディヴァリウスは彼の話から示唆されたもので、それにヴィヴァルディの生涯を絡めて面白い話になったと思う。現在の小説『オペレッタ赤ハリ先生の居酒屋』は彼への追悼の気持ちで書いている。だから全国の北森鴻のファンは名店、香菜里屋を勝手に居抜き物件にした私を批判するだろうが、彼とのつながりを特別な方法で記しておきたかった私を許して欲しい。
 先に記したが、今月25日は作家としての北森鴻、新道研治の命日だ。合掌。