バチカンのアンナ

 アンナはバチカンにいた。聖ピエトロ大聖堂の中のピエタ像の前で、彼女はひざまずいて手を合わせていた。
(本当に美しい像だわ。キリスト受難の悲しみをこんなにも清廉なまでに昇華できるなんて、本当に神々しく見事な聖母像だわ。やっぱり来てよかった。)
 アンナは兄フランツが薦めたフィレンツェピエタを思い出した。
(なんとも対照的なピエタ像だった。あのピエタと、今目の前にあるピエタが同じ作者の作品とは思えないが、確かにどちらもミケランジェロの作品なのだ。フィレンツェキリスト像は力強い肉体に彫られていて、神を感じさせられた。その崩れ落ちる身体を聖ニコデモが後ろから支え、若い女性たちがキリストを両脇から支えていた。その一人の女性は未完成だったが、それがまたその作品の深みを感じさせた。
 目の前のピエタキリスト像は本当に弱弱しい。それをどっしりと座った聖母マリアが膝の上でしっかりと支えている。そして祈るように聖母の顔は俯き、その目は伏せている。聖母の服の襞の細部にまで丁寧に彫られ磨きあげられている。素晴らしい完成度だわ。フィレンツェピエタピエタでは、聖ニコデモがミケランジェロの自刻像だと聞いた。この素晴らしいピエタにもはっきりとミケランジェロが表現されているわ。聖母マリアの胸にかかった細い襷に、しっかりとミケランジェロとサインが彫られている。本当に自己顕示欲の強い人だったのだわ。
 芸術家なんて皆そうかもしれない・・・ヴィヴァルディ先生しかりストラディヴァリウス先生しかり・・・私は本当に凄い先生たちと一緒だったのだわ。)
 アンナは聖ピエトロ大聖堂から出て目の前の大きな広場を囲む円形柱廊を歩いた。この見事な柱廊はベルリーニが設計したという。彼の作品はたった今、大聖堂の中で見たばかりだった。それは祭壇にあったブロンズでできた巨大な天蓋だった。その天蓋は4本の螺旋状の柱に支えられていた。その姿は広い聖堂の内部でも異彩を放っていた。その絢爛豪華なブロンズはまさにキリスト教の権威そのものだった。バチカンでは、見るもの全てがアンナを圧倒した。