アンナと兄フランツ(9)


「ああ、そうだったね。
 ヴィヴァルディは一介の音楽家と言ったが、一介の音楽家にしては、彼はいろいろと知りすぎていた。特にトファナ水は貴重な財源になる物だった。それを彼が知っている事など考えられないし、その者が宮廷の音楽家の中にいる事など考えられなかった。だからといってこのまま彼をヴェネチアに帰したら我が国の屋台骨を揺るがすような情報が彼によって他国に握られる危険性があった。だからこのまま黙って見逃して帰す訳にはいかなかったし、もちろん彼を雇う訳にもいかなかった。結局私には一つの方法しか思いつかなかったのだよ。」
 アンナはフランツの話の続きを冷静に聞く心構えは持てなかった。核心が目前に迫っていたのに、アンナはそれを避けた。自分が傷つくのが怖かったのだ。
「お兄さまはヴィヴァルディ先生と、秘密結社の同志の関係ではなかったのですか?」
「そうだったな、お前は気づいていたのだね。その通りだよ。だが同志といっても、大規模な結社の中には多くの組織があり、その中でいくつもの階級に分かれている。つまり私は、彼にそこまでの親近感は持っていなかったという事だ。しかし彼はお前の尊敬する先生だったし、今やお前の保護者でもあった。私は彼に最大の礼は尽くしたつもりだ。それでも彼をウィーンに招き入れる訳にはいかなかった。それに妻マリアはイタリア人の音楽家が嫌いだったし、なによりも彼女は我々の秘密結社に嫌悪感を持っている。私の立場も危ういくらいなんだよ。」
 アンナは覚悟を決めた。
「それでお兄さまはヴィヴァルディ先生を殺したの?」