≪フランツとヴィヴァルディ≫


「シュテファン様、見ていただきたい物があります。」
ヴィヴァルディはそう言うと、右手を大きく広げて鞄から容器を取り出して机の上に置いた。これを二度繰り返してから、今度はそれぞれの容器の蓋を取ると、フランツの前にその二つの容器を差し出した。
 フランツは容器の一つを手に取ると、中を覗いたり匂いを嗅いだりした。
「これが何だかわかりますか?」
ヴィヴァルディが訊くと、フランツは、
「ふむ、これは漆だな。」と言った。
「さすがシュテファン様、高い見識をお持ちのようですね。」
「いや、こういった物が好きなだけだ。特に黒い漆は神々しい素晴らしい光沢をしている。私はゼウスの黒と言っておる。で、この茶色い漆は何かな?」
「このウルシオールこそが、名器ストラドの秘密です。今日はそのヴァイオリンのもっと詳細な設計図を持ってきています。それにはこのウルシオールの配合と塗り方が記してあります。ストラディヴァリは遺言として、この完全な設計図を私に託しました。
 シュテファン様、この設計図によって多くのヴァイオリン製作者がウィーンで生まれ、多くのストラドがウィーンで製作できるようになるのですよ。
 フランツは無表情で質問した。
「それで、もう1つの容器は何だね?」
「これはヴェネチアのお土産です。化粧水ですよ。シュテファン様はもちろんご存知ですよね。シチリアの魔女が創りだした魔法の水『トファナ水』はたちまちイタリア全土に広まりました。特に中世では、フィレンツェメディチ家が用いたとされています。フィレンツェのあるトスカーナ大公国を継承されたあなたなら、当然トファナ水の存在を知る事になったはずです。そのトファナ水が今ではウィーンでも大変流行しているそうですね?」
「君は何が言いたいのかね?」
「いえっ、私はシュテファン様にヴェネチアのトファナ水をご確認していただくだけで結構なのです。ただ・・・」
「ただ、何だ?」
「私は一介の音楽家です。それを生業にできればもうそれだけで幸せなのです。シュテファン様のお力で、なんとか宮廷音楽家にさせて頂けないものでしょうか?」