アンナとヴィヴァルディ(5)


 ヴィヴァルディは、両手でアンナの両肩を掴むと、はっきりした口調で言った。
「アンナ、ちっぱけな人間の人生なんて、大きな社会の情勢からみたら、その溜め息だけで吹き飛ばされてしまうものだよ。
 ローマに教皇がいるだろう。その教皇の威を借りた貴族が神聖ローマ帝国の皇帝になる。それがカトリックの世界なのだ。当然、それに反発する貴族たちが出現する。彼らは新教と結びつく。それがプロテスタント清教徒の存在だ。ところが宗教と政治の話はそんなに単純ではない。カトリックに反感を持つ神聖ローマ帝国の属国もあれば、カトリック国なのに新教を利用する国も現れる。また大国に顔色を伺って、改宗してしまう小国まで現れてしまうのだ。
 国家や人間には正義がある。正義には大義が必要なのだよ。だから国家と宗教が結びついたのだ。大義があれば人民を簡単に動かす事ができる。だが国家や宗教には、真の大義や正義は存在しないのではないだろうか?真の大義や正義は、小さな人間の一人一人の中でしか存在しないものなのだよ。」
「小さな人間が持つ大義や正義とは何ですか?」
「それは真理と愛だ。」
「先生の話は、私には難しすぎてわかりませんわ。」
ヴェネチアは、ある意味で理想的な国家だったのだ。本来は反目しあってもおかしくない存在である教会と貴族が、一つの国家を形成する為に大義を共有し合ってきたのだ。だからヴェネチアの教会はローマ教皇と、ヴェネチアの貴族はウィーンのハプスブルク家と距離を保ってヴェネチア国家の為に忠誠心をもって尽くしてきたのだ。」