アンナとヴィヴァルディ(2)


 ヴィヴァルディが『合奏の娘たち』の前で辞任を発表した日の夕暮れ、アンナは彼の部屋を訪れた。
「先生、皆すごく残念がっていましたよ。キャラなんかずっと泣いていますわ。」
「ああ、キアレッタもそして君にも申し訳なかったな。だが二人にはもう教えてやれる事がないくらい、濃密な時間を共に過ごしたと思っているよ。」
「ええ、わかっています。私は先生がいなくなるのではないかと覚悟していました。」だから後悔しないように先生のもとでたくさん勉強させて頂きましたわ。」
「それはよかった。君だったら、このピエタ合奏団をこれからもずっとけん引していけるとも。期待しているよ。」
「先生、私もピエタに長くいられないような気がします。」
「ほう、それはどうしてだね?」
「先生、私の兄が結婚した事は、もうとっくにご存じですよね?」
「・・・・・・」
「答えられなくても結構です。私、兄が許せないのです。結婚した事がではありまでん。兄が故郷の国を捨てたからです。兄がいなくなって私まで故郷を失ったのです。そんな兄を許す訳にはいきません。」
「お兄さまにもいろいろな事情があったと思うよ。きっとお兄さまも苦渋を飲まされてきたのではないのかな。」
「私だって同じ思いをしてきました。」
「お兄さまが、ここで君を私と引き合わせたのは、お兄さまから妹アンナへの精一杯の愛だった、とは思えないかい?」
「だけど今日までの八年間、先生はほとんどピエタにはいらっしゃいませんでした。」
「それについては、本当に申し訳なかったと思っているよ。」
「いいのです。先生には感謝しています。ピエタに来たからこそ、私に素晴らしいお姉さまたちができました。ヴァイオリンをやってきて本当によかったと心から思っていますわ。」
「それならよかった。君にはずっとピエタにいてほしいと願っているのだがなあ。」
 アンナはそれには答えず話を変えた。
「先生はウィーンへ行かれるのでしょう?」
「・・・・・・」
「兄に会われるのですね?」
「・・・・・・」
 自分が考えてきた事が間違えではなかった。アンナは返事をしないヴィヴァルディを見つめながらそう思った。そしてヴィヴァルディと話ができるのは今日が最後なのだと覚悟した。