アンナとヴィヴァルディ(1)


 ストラディヴァリウスが聴衆の中にいたピエタ演奏会の大成功から3年間は、ピエタ合奏団の全盛であった。コン・ミスのキアーラやアンナは圧倒的な人気と実力を誇り、パオラやアントネッラ、クララ等の管楽器奏者も過去になかったくらい充実していた。
 ところがヴィヴァルディはピエタに復帰しても、彼の活動はピエタに集中していなかった。以前あれだけ精力的に、ピエタの『合奏の娘たち』の為に創作していた協奏曲は、ほとんど書かれる事がなかった。もっとも彼は既に500を越える協奏曲を創作しており、ピエタ合奏団の財産としては十分すぎるくらい貢献していたのだった。
 だからなのか興味はもっぱらオペラの創作に向けられていたのだ。彼がオペラを作り始めたのは、協奏曲集【調和の霊感】を創った頃からで、オペラに対する興味は今に始まった事ではなかった。そんな彼のもとに、ストラディヴァリウスの死去の知らせが届いたのだった。老マエストロの死去の知らせはヴィヴァルディにある思いを強くさせた。だが、すぐには実行できなかった。彼はオペラの創作で精神的にも時間的にもいっぱいの状態だった。その頃のヴィヴァルディは約3ケ月で1曲のオペラを仕上げていたのだった。
 そんなヴィヴァルディにまた衝撃的な知らせが入った。ストラディヴァリウスの三男パオロが相続していたヴァイオリン工房の道具の全てを、ある貴族に売却したというのだ。しかも今後一切、クレモナの町でヴァイオリンを製作しないという契約も交わしたというものだった。それはヴァイオリンの聖地クレモナからヴァイオリンが消えた事を意味した。
 ヴィヴァルディにとって痛恨の極みだった。
『遅かったか・・・』
 ヴィヴァルディは覚悟を決め準備を始める事にした。そして彼はピエタを辞任した。
 『合奏の娘たち』はわかっていた。ストラディヴァリウスの死は、ヴィヴァルディがピエタからいなくなる事を意味しているのだと。アンナも覚悟をしていた。だから貪欲なまでに精力的に勉強した。ヴィヴァルディが合奏の指導をした後は、アンナは決まって彼の部屋を訪れては多くの質問をした。ヴィヴァルディも嫌な顔をする事もなく、アンナにヴァイオリンの演奏法や、楽譜から音楽を読みとる読譜力の術を教えた。
 その事がピエタの中で、艶聞的な噂になったりもした。アンナはそんな噂を全く気にしないで無視していたし、噂には無頓着だったヴィヴァルディに感謝した。なによりも彼はほとんどピエタにはいなかったのだった。