アンナと老マエストロ(5)


 アンナは老マエストロの顔を見ながら、立板に水の如く一気に話した。
「結論から言うと、アントニオさんは毒薬であるトファナ水の売人だと思います。
 まだピエタで歌っていた頃の彼は、国営造船所で船底の塗料塗りの手伝いをしていました。おそらく彼が殺鼠団子を作っていたのでしょう。そこで砒素の知識を深めていったのだと思います。
 彼の第一の嘘、それは砒素がどこかへ多量にまわされているという証言です。もしそうだとしたらヴェネチア共和国の議会の中で大きな問題になるはずです。疑われては困る教会が圧力をかけた可能性も考えましたが、私はもっと単純な事に気がつきました。それは国営造船所の中でトファナ水を作ったのではないかという事です。造船所は原材料の砒素を他へまわしていたのではなく、毒薬の完成品を作ってまわしていたのです。造船所はなんといっても国営です。ヴェネチア国家が運営しているのです。だから大きな問題にはならなかったのでしょう。おそらくトファナ水は国家の大きな収入源にもなるのだと思います。だってあれだけ多くの国々と貿易しているのですから。彼は国営造船所で、殺鼠団子作りから次第にトファナ水の製造に関わっていったのでしょう。
 キャラは、彼が歌手を目指して頑張っていたのだと今も信じているけど、彼は歌手になるつもりは毛頭なかったのです。おそらくキャラには、生活の為にしかたなく働いていると思わせておきたかったのでしょう。」
 アンナはいつのまにか、アントニオを名前で呼ばなくなっていた。この件がいかに若いアンナを苦しめていたのかを老マエストロは悟った。そしてアンナに同情した。