アンナと老マエストロ(4)


 アンナは深く息をついてから、目を閉じて静かに言った。
「キャラの元恋人なんていうレベルの人物には思えなくなってきています。実は口にするのも憚れるくらい恐ろしい事を考えているのです。」
「ヒャヒャヒャ、わしの前であんなに遠慮なく物申しておった奴が、ここにいない者の事を話すのが憚れるだと言うのか?面白いのお。アン、わしには何でも話すのだ。」
 まさにヨハネのお言葉のようだった。
 アンナは頭の中を整理しながら、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「キャラやパオからアントニオさんの話を聞いていくうちに、私はこう仮定したのです。
 多量の砒素がどこかへまわっている噂が出て困る所、それが教会だった。砒素の事を知ったアントニオさんを教会は厄介者に思った。そこで手をまわしてクビにさせた。教会も大きな権力だし造船所は国営なのでいうまでもない。二つの大きな力で個人を陥れるのは簡単な事だった。私、昔兄から聞いた事があるのです。かの国では教会の密室、つまり懺悔室で毒薬を売買しているって。だから私は、教会でトファナ水作っていると思い込んでしまったのです。」
「思い込んでしまった?・・・その言い方では、その仮定は違ったという事かな?」
「はい。そのきっかけは、仲良くしていたアントニオさんの息子、ピーノの本当の歳がわかった時からでした。
 アントニオさんはゴンドラの船頭になって5年後に、先輩の妹さんと自分との間に赤ちゃんができたから、彼はその女性と結婚した。その赤ちゃんがピーノで、そうだとするとピーノは私より2、3歳下でなければならなかった。ところがピーノは私と同じ歳だったのです。アントニオさんはキャラにまで嘘をついていたのです。私の前提、つまりアントニオさんはキャラの元恋人で、いろいろな葛藤から二人は結ばれなかったが、まだ二人は愛し合っているのだ、という誠実なアントニオさんのイメージが崩れてしまったのでした。
 不思議なもので、アントニオさんが嘘つきだったという前提から考え直すと、私の抱えていた多くのの疑念というもつれた糸は瞬く間に解れ、今度は全く違う糸を紡ぎ始めたのでした。そこから出した推論が、まさに今のアントニオさんの実像だと私は確信しています。」
「ヒャヒャヒャ、これは面白いわい。それで、お前さんが導き出したアントニオの正体とはどんな奴なのかな?」
「これはあくまでも私の推論ですよ。本当に恐ろしい事なのです。だからストラド、本当に私を助けてくださいますね。」
「ああ、わしを信じなさい。」
 老マエストロの顔は真剣だった。