アントニオのゴンドラで(7)


(なんでコイツがいるんだ・・ライヴィチ)
 そのアントニオが、キアーラの顔色を窺いながらアンナに答えた。
「どうだったかなあ・・・ああ、確かにあの娘は、トファナ水に大変興味を持っていたなあ。うん、そうだった。どこでトファナ水が買えるのか尋ねてきた。」
「それでアントニオさんは、アントネッラにどのように答えたのですか?」
 アンナの質問に、アントニオの目がますます泳ぎだした。そのまま二人の問答が続いた。
「んっウッ、ん、もうあの娘の名前を出すのはやめよう。ゴンドラが沈みそうだ。正直になんでも話すからそうしてくれよ。頼んだよ、なあアンナちゃん。
 わしは彼女に、トファナ水なんて知らないし、キャラと同様にそんな物を使わないように言ったんだ。そういえば彼女は、ヴィヴァルディ先生やガスパリーニ合唱長はトファナ水の事を知っているのか、すごく気にしていたなあ。」
「結局アントネッラ、いえ彼女とはその一回しか会っていないのですか?彼女から会いたいって言ってきた事はなかったのですか?」
「ああ何度も言っているが、彼女と会ったのはその一回だけだし、それ以降会いたいと連絡してきた事は一度もない。」
「ヴィヴァルディ先生とは、それ以降会った事があるのですか?」
「いや、先生がクビになって、わしも二年後にクビになったんで、それ以降はもう先生と会う事はなかったなあ。」
ストラディヴァリウス先生ともその後は会っていないのですか?」
「いや、あの先生はその一年後に一度だけわしの所へやってきたよ。」
ウルシオールですね。でもおかしいわ。ウルシオールは今から約10年前に、どこかの神父さまがヨーロッパに広めたのではなかったかしら?アントニオさんの話だと、さらに10年も昔の話になってしまうわ。」
「アンナは本当になんでもよく知っているのだなあ。
でもアンナ、ヴェネチア共和国を見くびってはいけないよ。ヴェネチアはヨーロッパ一の海運国家なのだよ。昔から中国のウルシオールはインド経由で輸入されていたのだ。だから秘密の塗料だったのだ。あのヴァイオリンの先生は、その塗料をもっとたくさん欲しいと言ってきたのだ。」
「それでアントニオさんはどうされたのですか?だってあれは秘密の塗料だったのでしょう?」
「ああ、先生の為に真剣に善処したんだよ。」
「たくさんのウルシオールを、アントニオさん一人の権限でどうこうできるとは思えませんわ。アントニオさん、もしかして国営造船所をクビになった事と関係があるのではないですか?」
 そこへキアーラが口を挿んだ。
「アントニオ、本当なの?あなた一体何をしたのよ。なんでも正直に話すと言ったわよね。今日は私たちに本当の事を話してちょうだい。それが私への贖罪よ。」
 ゴンドラが大運河を進むにつれ、風が強くなっていた。ここでは街の謝肉祭の喧騒も聞こえなかった。波と風の音が聞こえていたはずなのに、ゴンドラの上は重たい沈黙に包まれていた。