アントニオのゴンドラで(6)


アントニオは神妙な顔をして答えた。
「これで話は結局元に戻った訳だ。つまり先生たちの要件は砒素の事だったのだ。わしがヴィヴァルディ先生に伝えた、多量の砒素がどこかへまわってトファナ水になっているという話を、先生はストラディヴァリウス先生にも話したのだ。それで二人の最大の関心は、その砒素が一体どこへ流れているのか、という事だったのだ。」
「でもそれは噂話だっていう事ですよね?」
アンナはアントニオに訊いた。
「その時にも先生方にそれを言ったのだ。先生方はがっかりしていたよ。」
 アントニオは明らかに興奮していた。それは、彼の動かす櫂の速さで皆が体感できた。それをキアーラが糺した。
「お〜いアントニオ!ゴンドラが競艇レガッタ)のように速くなっているぞ。落ちつけよ。なんなら私がキスをしてやろうか?」
 パオラがキアーラに続けた。
「キャ〜、そんな事したらこのゴンドラは海に潜って魚になっちゃうよ〜ん。」
 アントニオは櫂を止めた。そして、大きくふ〜う、と息を吐くとアンナに向かって、
「アンナ、よく聞くんだよ。」
アントニオの真剣な顔は、砒素をめぐる話をする事の重大さを表していた。アントニオはアンナに向かって、そして皆にも聞こえるように、ゆっくりとはっきり話した。
「いいかい、これはあくまでも噂話なのだ。ヴェネチアの国家がどうこうするような話ではない。もちろん教会がどうこうするような話でもないし、貴族がどうこうできるような話でもないのだ。いいかい、この話は今日、これを最後に封印するのだよ。」
「わかりましたわ、アントニオさん。ですから今日はもう少し私に質問させてくださいね。」
アンナがそう言うと、キアーラとパオラが助け舟を出した。
「アントニオ、あなた、アンに協力しなければ私たちが承知しないわよ。」
 アンナは遠慮なく単刀直入に言った。
「アントネッラは、アントニオさんに会った時に砒素の話はしなかったのですか?」
 パオラはびっくりしてキアーラとアントニオを交互に見た。
 キアーラは顔色も変えずに平然としていたが、アントニオの冴えない顔色はさらに悪くなっていた。それに目は泳いでいるのに口は渇いていた。全く気の毒なかぎりだった。