娘たちの謝肉祭(2)


 パオラが声にならない声を喉の奥からふり絞って叫んだ。明らかに狼狽していた。
「あ〜アッ、アントニオ〜。」
 パオラの声は仮面で聞こえなかったのだろう。アントニオが丁重に手を差しのべながら三人の貴婦人をゴンドラに誘導した。
「今日はついているわい。半日も貸し切りしてもらって、しかもこんなに若くて美しいお嬢さん方と一緒に周れるなんて、わしは世界一の幸せ者ですわ、ハハハ。」
 お嬢さん方は仮装して仮面を付けている。当然アントニオは社交辞令で言ったのだ。だが、その言葉の声色でアンナは、この男がアントニオだと気がついた。
そしてキアーラを見た。
 キアーラは仮面越しからでも表情が変わっていない、とわかるくらい平然としていた。
 次にアンナはパオラを見た。
 パオラはキアーラとは対照的だった。身体は小刻みに動いているし、仮面を持つ手は少し震えていた。アンナはパオラが気の毒になったので、片手をパオラの手に伸ばしてグッと力強く握ってやった。握り返してきたパオラの掌は汗びっしょりだった。アンナはキアーラの言った事を本当の意味で理解した。
(これがキャラから私たちへの素敵な贈り物だったのね。これがびっくりするような演出なんだわ。)
 なにもわかっていない哀れなアントニオは、暢気にも一人大声でしゃべっている。
「それにしてもお嬢さん方三人だけのゴンドラは、謝肉祭では無粋ですぜ。今頃きっとドゥカーレ宮殿でも大騒ぎだい。ここを曲がればすぐに溜め息橋が見える。犯罪者が処刑される前に、あの橋から最後にヴェネチアの海を見ながら渡るんだよ。溜め息を吐きながらね。今日は美しいお嬢さん方を見ながら溜め息を吐いて渡らんにゃならんな。ハハハ・・・」
 ゴンドラの心地いい揺れと、大男のだみ声を一変させたのはキアーラの一言だった。
「お久しぶりね、アントニオ。」
 一瞬の沈黙は、二人の娘を凍りつかすのに十分だった。