クララの病気(3)


(ルナピンスキーとライヴィッチ)
 パオラがベッドから立ち上がって、先程までキアーラが座っていた椅子を、アンナの座っている所まで持ってきて腰かけた。
 そしてアンナを覗きこむように前傾になりながら小声で言った。
「化粧水の毒の正体は砒素よ。」
「砒素?」
「そうよ。アン、前に私と一緒にヴェネチアの街を歩いたでしょう。その時に国営造船所へ行った事を覚えている?」
「ええ、あそこなら今でもデンのお散歩で時々行っているけど。」
「ええっ、デンが行ったりしても大丈夫なの?砒素の毒団子を食べたりしない?」
「デンは美食家よ。そんな物を食べたりしないわ。それよりパオ、砒素と化粧水の関係を私に教えて。」
「砒素は鼠を殺せるほどの猛毒だけど、少量を水に溶かして使うと肌が白くなるそうよ。昔流行していた化粧水は、そのような代物だったの。それを知らなかった若い娘たちや身体の弱い女性たちの少なからずの者が、目眩で倒れたり嘔吐したりしたのよ。
 キャラが、その化粧水は危ないから止めるように指導したので、今は随分少なくなったけど、今でもその化粧水を使っている娘はいると思うわ。だって色白の肌は女性の憧れであり、男性の憧れだものね。もし中毒を起こしても、目眩なんて皆しょっちゅうの事だし、嘔吐にいたってはその原因が食べすぎか、妊娠か、砒素中毒か誰もわからないものなのよ。」
「パオはどうしてそんなに詳しいの?」
「アントニオよ。私もキャラと同じで、アントニオから気をつけるように言われていたのよん。」
「アントニオさんはその事をどうして知っていたのかしら?」
ヴェネチアの街中で噂だったからではないかしら。ゴンドラの船頭は噂話が大好きだから。」
「だったらピエタの中でも噂になると思うのよ。キャラが化粧水を止めるように皆に言った時、教会の関係者はどんな反応だったのかしら?」
「そうねえ、プレーテ・ロッソは練習中にも、積極的に化粧水の危険性を話して皆に注意していたわ。でも、確かに他の教会の人たちが何かをしたという記憶はないわね。私が覚えていないだけかも。」
「そんな事はない。もし教会ぐるみで化粧水撲滅運動でも起こせば、今頃化粧水は完全になくなっているでしょう。それに私がここへ来て5ケ月も経つのに、誰からもそんな話や注意をしてもらえなかったわ。その化粧水ってどこで売られているの?」
ピエタに出入りしている商人から買っていたようよ。」
「今でも使っている人がいるのでしょう?その商人は誰の許可で出入りしているの?」
「詳しくはわからないけど、教会の大司教かその権限を持った偉い人でしょうね。」
「毒の化粧水が出回っているのがわかっていながら、禁止できないのはなぜ?」
「わからないわ。もしかしたら偉い人にはわかっていないのかもね。」
「わかっていないのなら、それをわかっている者が、上の者に伝えていないという事になるわ。少なくともヴィヴァルディ先生は皆にその化粧水の使用を止めるように啓蒙していた。そのヴィヴァルディ先生を教会は疎ましく思っている。アントニオさんも結果的には教会から追われ、歌の世界からも追放されたわ。」
「ちょっ、ちょっとアン、あなた何を言っているのかわかっているの?なんだか話が飛躍しすぎてない?」
 そこへ軽くドアをノックする音が聞こえた。