ストラドの茶飲み話(3)

「私がストラドのヴァイオリンを初めて弾いた時、響きが建物に共鳴していたのに感動したの。はじめは音響のせいだと思っていた。でも弾いていくうちに、楽器が鳴っているのを実感できるようになったの。その事自体が不思議だったわ。だってヴェネチアの空気は海に囲まれているせいか大変な湿気だった。湿気は特に弦楽器には絶対に良くないのはわかっていた。そんな劣悪な環境の中でストラドの楽器は響いていたし、弾きこむともっともっと楽器全体が共鳴してきたわ。
大げさに言うと、ヴァイオリンがヴェネチアの空気に振動していたの。湿気という弦楽器の大敵を、響きというオーラに取り込んで、さらに空気と共鳴させながら神聖なる領域まで昇華したような、そんな凄味が私の使っていたヴァイオリンにはあった。それがストラディヴァリウス先生のヴァイオリンだったの。」
「すご〜い惚れようね。私もそんなに惚れ込めるような恋人が欲しいわ。」
「同感だわ。あら違うのよ。パオの言った事ではなく、アンの話に同感したの。確かに私も不思議に思っていた。いつもヴァイオリンの方が、私の音楽の方向性を示唆してくれていたのよ。それをどんな言葉で表現したらいいかわからなかったけど、今まさにアンが言った通りだと同感しているところだわ。
 だけど、アンのヴァイオリンは私が5年前に弾いた事があって知っているのだけど、その時はよくなかったのよ。ストラドが新しく作って持ってきてくれた楽器だけど、私は気に入らなくてそのままになっていたヴァイオリンなのよ。同じストラドの楽器でも、私のストラドとアンのストラドとは質が全然違うはずよ。」
キアーラの言葉に老マエストロは唸った。
「まいったわい。キャラはわしのあのヴァイオリンをそのように思っていて放置しておったのじゃな。いやいや、お前の感性もたいしたものだ。
 キャラの使っているヴァイオリンは、わしが全行程を丁寧に作り上げた逸品だ。あの頃のわしは1挺ずつ全部手作りで仕上げておったのだ。だが、わしも歳をとった。全行程の全てを一人でするのが負担になってきた。だがこれだけのヴァイオリンをわしの代だけで無くすのが惜しくなった。だからできるかぎりの設計図を作成して、それを見た職人なら誰でも同じようなヴァイオリンを作成できるようにしたのじゃ。試行錯誤の末に仕上がったのが、アンの弾いていたあのヴァイオリンだったのじゃよ。
 やはり滞在を延ばして、お前たちとこうして話をしてよかったわい、ヒャヒャヒャ。愛するキャラよ、お前が言うようにアンは聡明な娘だ。それにパオも賢くて楽しい娘じゃ。わしはお前たちだけに、わしのヴァイオリンの大きな秘密を教えてやりたいが、それだと秘密でなくなるし話題もなくなるんでな、それは困る。まだまだお前たちとこうしてお茶を飲みながら話をしなければならん。だからヒントをやろう。それで考えてみてくれ。」
「そのヒントがストラドの秘密なのね?」
キアーラがすぐに反応した。その好奇心が老マエストロを刺激してくれるのだ。彼はその刺激を少しでも長く感じていたかった。彼は言った。
「それは・・・その秘密は・・・ニスじゃ。」