アンナのデビュー(3)


(私はグレート・デンよ!)
 この時代の演奏スタイルは、現在のようなコンサートとは趣が異なっていた。つまりチラシやテレビの宣伝を見た人々が、チケットを買ってコンサート会場へ足を運ぶような時代ではないという事だ。なによりこの時代の多くの国では、クラシック音楽は貴族の道楽でしかなかった。金持ちの貴族が音楽家を雇って演奏させていた。その演奏は聴く為にあるのではなく、舞踏会やパーティーの為の音楽でしかなかった。つまり貴族にとって音楽家の存在は、料理人や庭師などと同系列で、ただの使用人でしかなかった。それどころか音楽家のランクは、貴族の使用人の中でも随分と格下だった。それは作曲ができる演奏家しかりであった。貴族ではない一般の人々がコンサート会場に足を運び音楽が楽しめる時代になるには、ヴィヴァルディの時代から約100年後、ベートーヴェンの時代まで待たなければならなかった。
 今アンナが存在している1729年のヴェネチアがいかに自由な風土であったか、それはアンナ自身が感じていた事だった。事実、ピエタ合奏団の団員は、貴族から雇われた演奏家ではなく、普通の女の子たちが一生懸命練習して演奏技術を習得した者たちだった。しかも団員のほとんどが孤児だった事を考えれば、それはもう奇跡的な合奏団だといえた。実際にキアーラもパオラも孤児だった。キアーラは実力でピエタ合奏団に君臨していた。その原動力は紛れもなくピエタ演奏会の聴衆だった。多くの人々がキアーラのヴァイオリンの演奏を楽しみにしていたのだった。
 アンナはそのような自由なヴェネチアの空気が好きになっていた。ヴェネチアでは身分に関係なく、実力があれば皆が認めてくれる。そのような自由な雰囲気が街中を包んでいる、とその頃のアンナは強く感じていた。

 アンナのピエタ・デビューから約1ヶ月後に行われたピエタ演奏会において、聴衆は拍手喝さいで新人ヴァイオリニスト、アンナ・マリーアを絶賛した。アンナがキアレッタと並んでピエタ合奏団の2大スターになった記念すべき日となった。

(第1章 ヴェネチアの娘たち  終わり)

 第2章 ストラディヴァリウスの秘密 は
 4月16日(月)から連載します。
 来週は第1章のあらすじと解説をします。