アンナのデビュー(1)


(私もデビューします)
 アンナのピエタ・デビューはその一週間後だった。ピエタの仲間からは衝撃的な驚きをもって迎えられた。もちろんアンナのヴァイオリンの確かな技術においてである。
 華やかで美しく歌われるキアーラのヴァイオリンに、アンナのヴァイオリンは艶やかな表現で答えた。二人の演奏するヴィヴァルディの2つのヴァイオリンの為の協奏曲イ短調は、ピエタの新たなスターの登場を皆に確信させたのだった。既にそれを予感していたキアーラですら、アンナと一緒に演奏しながら彼女の実力に改めて驚いていた。
 単にヴァイオリンが上手な仲間は何人かいる。だが上手なのとアンサンブルができる事は違う次元にある。アンサンブルとは会話のようなものだ。話が上手な人や話が面白い人はたくさんいても、一緒に話をしていて幸福を感じられる人は滅多にいない。相手の話を聞きながらも自分の話を交えながら一緒に会話を展開させられる人なんてそんなにいやしないのだ。つまり多くの人は、相手の話を深く聞かないで自分がしゃべっているだけだ。だから、どちらかが聞き役になってしまっている。もちろんそれで幸せを感じる人もいるだろう。人との会話ならそれでいいのかもしれない。だが音楽はそうはいかない。なぜならそれを聴く人がいるからだ。演奏者は聴衆を幸せにする義務があるのだ。相手に合わせるだけではいい音楽は生まれない。そんな音楽はアンサンブルとしての質が悪すぎる。
 キアーラはそう思いながらアンナと演奏していた。アンナのヴァイオリンはまさに真のアンサンブルを奏でていた。キアーラがしたかったアンサンブルの醍醐味、音楽の本質を、今こうしてアンナとしている。キアーラは今までピエタ合奏団の中で、天才ヴァイオリニストとして君臨してきた。彼女はその名に恥じないくらい練習を積み重ねて成果を残してきた。でも自分の演奏で幸せを感じた事がなかった。それはキアーラが本当に求めてきた音楽は、質のいいアンサンブルにあったからだった。キアーラが圧倒的な技巧でピエタの皆を引っ張っていくような音楽は、たとえ周りが彼女に惜しみない賛辞を呈しても、彼女自身が満足できるような音楽ではなかった。キアーラがアンサンブルをする時は、彼女が音楽を積極的に表現しているようで、実は彼女がピエタの皆の音楽レベルに合わせていただけだった。その反動として独奏の部分では、過剰までに技巧を凝らして演奏していたのだった。
 キアーラがヴァイオリンでアンナに問いかける。アンナはすぐに響きをもって答えと別の問いをキアーラに寄こした。一緒にヴァイオリンで語る箇所も、アンナはキアーラに音楽や音色で寄り添って同じ方向に向かうのではなく、時々自分の音楽を響きを変えて主張してきた。二人から生れる音楽は、キアーラにとって新鮮で刺激的だった。それは合奏の弦楽器奏者の皆にも伝わっていた。だから合奏の部分で、皆は適度な緊張と集中をもって二人の音楽に対応していた。それはいつもと違ったピエタ合奏団の響きになった。楽譜を見なくてもいつでも弾けるくらいに、飽きるほど熟知したこの曲が、アンナのヴァイオリンが加わった事によって、キアーラやピエタ合奏団の皆の中で、再び輝きを取り戻した幸福な時間であった。