管楽器の練習部屋にて(3)


(僕の部屋は小さいのです)
 部屋の隅でパオラが練習していた。それがヴィヴァルディの協奏曲だとすぐにわかった。パオラが吹くバッソンは、普段はオーケストラの低音を支えている楽器だとは思えない程、独奏楽器のように軽やかで、この楽器が技巧的にも素晴らしい能力があるという事をアンナは実感した。
 パオラがアンナに気づいて練習を止めた。
「ごめんなさい、邪魔する気はなかったのよ。聴き惚れていたの。パオが吹くバッソンは本当に素晴らしいわ。高音の旋律も軽快で美しくて、まるで低音楽器じゃないみたい。」
「ありがとう。それって私の楽器を褒めてくれているのではないのでしょう?
 ところで少しは細胞分裂は収まった?」
「ええ、でもこれから処方箋を探さなくてはいけないわ。」
「その処方箋は誰が持っているのかな?」
「誰が持っているのかをこれから捜すの。」
「そんな調子なら、まだまだ私には言えないって感じかな?」
「ごめんなさい。もう少しだけ待ってくださいませ。パオお姉さま。」
「でたなあ、お姉さまと言えば、私がなんでも許すと思うなよん。まあせっかくここへ来たのだから、もうちょっと聴いていって。ホ短調の協奏曲を吹いてあげるわ。きっとアンの尊敬するヴィヴァルディ先生がもっと好きになると思うわよん。でも私のバッソンを聴いて耳が壊れそうになったら勝手に出ていってもいいからね。」
 パオラの言うとおりだった。耳が壊れそうになったのではない。パオラの吹いていた軽妙なバッソンの響きが、今度は抒情豊かに、そして艶やかに歌われていた。バッソンの表現力に、いやパオラの表現力に、アンナはいつまでもその場を離れられないでいた。
 アンナは頭も心も集中してパオラのバッソンをずっと聴いていた。それは心地よい低音で歌われる子守歌のようだった。アンナは兄を思い出していた。
(フランツ兄さん、今頃どこで何をしているの?私はここでこうして幸せにしているわ。)
 アンナは今度は、不幸な死を遂げたお父さんを思い出して、少しだけ涙した。
 パオラはそのアンナの様子を見て、黙ってそのまま2曲目の短調の協奏曲を吹いた。

 パオラの吹くバッソンを止めさせたのはキアーラだった。彼女が部屋に入ってきた。
「あら、アンもいたのね。ちょうどよかったわ。今ね、ピエタの入口に仔犬がいるのよ。とっても可愛いわよ。パオと一緒に見てきたら?本当に可愛いから。私も皆に知らせてからすぐに行くわ。」
そう早口で言うと、クスクスと笑いながら足早に出ていった。
 アンナとパオラは、仔犬がいるというピエタの玄関へ向かった。